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※ちょっとしたお話

【お:おつかれさま】20:51 2007/11/04

電車がホームに滑り込んでくる。
チカチカと瞬く電光掲示板は電車が到着したことを示していて、音を立てて開いたドアに私は足を踏み入れる。夕方過ぎの電車内は休みとは言え、制服を着た学生やらスーツ姿のサラリーマンの姿がちらほら見られ、その一人である私は小さく溜息を吐く。
あいにく座席は全て埋まっており、それどころか乗車率110%程度の混み具合を呈した車内では荷物を足元に置くだけでも困難である。
少し離れた吊り革を掴み、ゆるゆると動き出す電車内で車窓から流れる景色を見る。
ポツポツと明かりが灯り始めた建物が、夜の訪れを告げていた。

公休を利用して泊り込みで行われた会議に参加をした。
もともと私が参加する必要のないものではあったものの、急用で参加できなくなった同僚がどうしてもと頼み込んできたのを渋々了承し、その席に着いた。果たして会議の内容は酷く稚拙で下らなく、何人の人間が集まった所で結論付けることが出来ないようなそんな見切り発車的なスタートをただ単純に宣言するだけのものだった。何処の馬鹿が考えて企画したのかは知らなかったけれど、大方口ばかりの上司が思い付きを実行して自分の手柄にしたいのだろうということだけは良く知れた。
それだけで丸二日無駄にした。議論するだけ無駄な水掛け論は何も生み出さないということを理解しない人間と喋るほど苦痛なことはない。懇談会と称した呑み会も二次三次と無理矢理に連れ出され、私は不機嫌なまま出された酒を呷っていた。

会議がどうにか終了し、私は荷物を抱えて早々に帰路に着く。
張った肩を軽く自分で揉みながら、コキコキと首を鳴らした。
視界が暈けて見えるのは多分眼精疲労なのだろう。頭痛も段々と酷くなり、何よりずっと座り続けていたせいか腰が痛い。
ハア、ともう一度溜息を吐いて私は顔を上げた。
自宅近くの駅まではおおよそ10分。但し、そこから歩いて20分は掛かる。
普段なら歩くことを厭わないが、流石に今日の疲労では途中で倒れてしまいそうだった。
タクシーを使うか、と私はぼんやりと考え、吊り革を握りなおした。

バタン、とタクシーのドアが閉まり、私はようやく自宅にたどり着いたことを実感した。
ココから己の部屋までは5階分、階段を使うことになる。資料で重くなった鞄が手の平に食い込むものの、こればかりは仕方ない。ひとつ息を吐いて、私は一段一段を昇っていく。
部屋に戻ってまず風呂に入りたかった。それもシャワーではなく、湯を溜めてじっくり浸かろう。それから食事だ。あまり作る気力もないから、とりあえず簡単なものでいい。本当はきちんとした和食を食べたかったものの、一人暮らしで我儘を言うつもりはない。店屋物を頼んでも良かったが、どうにも気が進まなかった。
味噌汁だけ作れば良かろう、と独り言ちて踊り場を廻る。カツンカツンと冷たい音がフロアに響いて、私は上へと歩いていく。
食事をしたらどうしよう。
本当はまだ片付いていない仕事があるからソレをどうにかせねばなるまい。しかしこの体調で下手に手を出せば中途半端な状態で寝てしまうかもしれない。明日は仕事だから、朝一で片付ければどうにかなるだろうかと仕事の順序を組み立てる。
時折、あまりに抱えすぎた案件を全て投げ出してしまいたい気持ちに陥ることが無くもない。それでも、他人の人生を左右する立場であるのだと半ば強引に自分を納得させて仕事に取り掛かる。良心どころか人間性さえ疑いたくなる昨今の事件の中では、感情など役に立たない。かと言ってシステマチックにこなしたところで誰も喜ぶことは無い。仕事とはそのようなものだろうかと若干の疑問を呈しながら、それでも従うしかない自分が居る。つくづく仕事のバランスが難しいと私は思いながら、カツン、と一際高く足音を鳴らす。
見上げた壁面には『5F』とプレートが掲げられていた。

「おかえり。会議、お疲れさん」
カギを取り出して差し込もうとすると、中からドアが開いて成歩堂が顔を出した。私が固まって立ち竦んでいると、成歩堂は小首を傾げてそれから小さく笑った。
「早く中に入れよ。ほら、カバン持ってやるから寄越せって」
私の手から無理矢理奪うようにカバンを取った成歩堂が、開いた片手で私の手を引いた。思考がまだ追いつかないまま、私は自宅へと入り、カギを閉める。
リビングへと向かった成歩堂はソファに私のカバンを置いて、それからまた戻ってきた。早く靴脱げよ、と促されて私は言われるままに靴を脱ぐ。フラフラとリビングへと歩いて、ソファにドサリと腰掛けた。 疲労が入り混じった深い溜息を吐いて、目を閉じる。
「御剣、何ボンヤリしてるんだよ。疲れてるんだろ。ご飯も風呂も用意してるけど、どっち先にする?」
ヒョコ、と正面に屈みこんだらしい成歩堂が私に向かってそう言った。
私は片目だけを開けて見下ろすと、黒目がちの目が笑って揺れていた。

「大体何故、キミがココに居るのだ?」
私は風呂に入って疲れを取り、その間に温め直された食事を成歩堂と差し向かいで食べている。成歩堂が用意していた食事は正に私が望んでいた真っ当な和食そのもので、真ん中に置かれたホウレン草のおひたしをつまみながら、私はそう尋ねた。
もぐもぐと咀嚼しながら、成歩堂が何やら考えこむように上を見る。ゴクリ、と咽喉が動いて、成歩堂は味噌汁を一口飲んだ。
「ああ、留守中に上がりこんで悪かったよ」
「そうではない。そもそも何故私が会議だったと知っていたのだ?」
「あ、ソレ? 狩魔検事に聞いたんだよ」
「メイが?」
「うん。レイジが疲れているようよ、なんて言うからさ」
気になって来てみたのだと、成歩堂がカラカラ笑った。
「でも良かったよ。オマエ、本当に疲れてるみたいだから」
「ムウ」
「明日も仕事なんだろ?」
「まあ、そうだ」
「後でマッサージしてやるよ。シロウトだからあんまり効かないけどね」
ブリの照り焼きを箸で切り分けていると、成歩堂が横から大根おろしを差し出した。美味しいぞ、と笑いながら皿に取り分けて、自分の分にも乗せている。一片を取って、食べてみると確かに美味かった。
「キミの方こそ明日は仕事だろう?」
左手を突き出しながらそう言うと、成歩堂が笑って空茶碗にご飯を盛ってくれた。
キンピラゴボウをシャクシャクと食べ、茶碗の上にパラパラ散ったゴマを米ごと取って口に含む。辛めに味付けされたソレは疲れたカラダには丁度良い。具沢山の味噌汁は豚汁風に味付けされており、白味噌の風味が鼻腔を擽り、疲労困憊しきった脳を癒していく。
クスクスと笑い声が聞こえ、フッと視界を戻すと成歩堂が目に涙を湛えている。
「何がオカシイのだ?」
「いや、うん。もっと食べなよ、御剣」
そう言って成歩堂は私の持った茶碗を取り上げて、炊飯器の蓋を開けた。

「さっきの話なんだけどさ」
食事が終わってお茶を飲みながら、成歩堂が思い出したかのように言う。私も湯飲みを持ちながら、湯気の立つお茶を啜る。適温に温められたソレは飲みやすいものの、若干渋めと思われた。また茶葉を入れすぎたのだろう、と私は苦笑してそれでも美味いお茶を飲み干す。
「仕事なんて自営業だから結構融通利くし、今は急ぎの案件なんて無いから僕の方は全然構わないだよね」
空の湯飲みにお茶を注ぎながら成歩堂が呟いた。
「っていうか、オマエ働きすぎ」
たまには休めよ、と苦笑されて、私はムウとかヌウとかそんな詰まった言葉しか返せない。そうして唸っていると成歩堂が耐え切れないように大口を開けて笑い出した。
「笑い事ではない」
「まあね。でも休めって言われて嫌がるのがオマエらしくってさ」
成歩堂がダイニングテーブルに手を付いて立ち上がった。何事かとジッと見てると、ほら、と手を伸ばされる。
「おいで」
優しい眼差しに捉えられて、気付かず伸ばした手を取られた。そのまま立ち上がるように促され、私はフラリと腰を上げる。疲労でオーバーヒートした思考は今度は違うモノに突き動かされて、私を動かす。
絡められた指先だけが温かくて、ギュッと握ると少し間があって、それからゆっくりと握り返された。

約束通り、成歩堂は私の身体をマッサージしてくれた。
それこそ脳天からつま先まで、のべつ隈なく、全身余すところなく。
程よい脱力感と緩い熱が心地良い。ゆるゆると落ちた瞼を半開きのまま、私は余韻に浸っている。成歩堂は疲れていないのかまだ私の足を掴み、グイグイと押している。足先からふくらはぎ、それに膝の辺りを重点的にやっているようで、痛いのと気持ちいいのとが半々程度に押し寄せてきた。
「気持ちいい?」
「・・・・・・ぅム・・・」
眠りかけた脳髄で成歩堂の問いかけに答えてやる。ウトウトと意識さえ微睡んで、夢見心地のままにうつ伏せていた。
「頭、やってあげるから仰向けになってよ」
軽く頷いて、私は脱力した身体を仰向けにする。
「お疲れ様」
ちゅ、と軽く口付けを落として、成歩堂が微笑った。
私も小さく笑って、成歩堂の首を掴んだ。
「成歩堂」
耳元に届くような最小限の音量で名前を呼んでやり、今度は私からキスを仕掛けた。


※甘ったるく冬らしく。疲れて眠いようなキツイような。とりあえずなるほど君に『お疲れ様』と言って欲しくて言ってもらいました。癒されたいのかな。そのままギュッと抱きしめられたら堪んないッスね。嫁が欲しいよ。