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※ちょっとしたお話

【わ:我儘だと知っててなお】10:31 2007/10/21

「オマエは僕が居なくても平気だろう?」
僕は確かにそう言った。
言わざるを得なかった。
自棄になっていたことは謝るし、キミを傷つけたことも謝ろう。
だけど、どうしても僕には耐え切れなかった。
僕のせいでキミをダメにしてしまいそうで、耐え切れなかった。
僕はどうなってもいいけれど、キミはそうじゃない。
だから。
僕はそう言ったんだ。

それから3年が過ぎた。
始めの頃は事務所に押しかけてきた御剣だったけれど、僕が会うことを拒否し続けて次第に回数が減った。みぬきにも頼んで、僕は常に留守だと言ってもらった。多分、御剣は気付いていたのだろうけれど、決して無理強いはしなかった。それだけはありがたかった。
「パパ、どうして御剣さんに会わないの?」
みぬきが不安そうな目で僕を見ている。
親友に会わないのが余程違和感があるのだろう。だけど僕は言うわけにはいかなかった。僕が守ると決めたものはキミだからだと言えなかった。
僕はそこまで度量のある人間なんかじゃない。
僕自身ともう一人くらいが守れる許容範囲だった。だから取捨択一。
みぬきは子供で、アイツは大人だった。
ただそれだけの話だ。
逃げているだけかもしれない。それでもいい。
今までもアイツは一人で生きてきた。
僕なんか今更必要ないと言われても仕方ないことだった。
だから僕から先に言っただけに過ぎない。
「僕みたいなヤツと付き合えば、アイツがダメになるからね」
「でも、親友なんでしょ?」
「昔の話だよ」
何か言いたそうな娘ににっこりと笑って、僕は会話を終わらせた。

僕はあの日、御剣が帰国すると言った日にアイツに電話をした。
留守電に残されていたメッセージはどれも簡潔なもので、アイツらしいと思っていたけれど僕は決して掛け直さなかった。電話をすれば多分、僕は未練がましく彼に縋っていたのだろう。それだけは避けたかった。何としても避けたかった。
『1週間後には日本に戻る』
その一言で僕は気付いた。戻ってきたら、アイツは僕に会いに来るだろう。そして詰問するのだろう。僕は御剣に会いたくなかった。会う資格など無かった。今の僕の立場は確かに僕自身の失敗であり、僕自身の迂闊さによって僕はその処遇を甘んじている。けれど、御剣は違う。やっとかつての噂を払拭したばかりのアイツにとって、よりによって『捏造』なんて鬼門にしかならない。たとえ友人だとしても、ゴシップ誌などはあらぬ事まで書きたてる。増して、僕らは決して世間からは相容れないような関係だ。ソレがバレたのなら彼は今度こそ破滅だろう。
あのメッセージから1週間。僕は携帯電話の短縮ボタンを押して、コール音に耳をすませた。

『成歩堂ッ』
懐かしい声だった。
愛しい声だった。
今すぐにでも逢いたい気持ちを僕は抑えて、素っ気無い声音を出してみせる。
「ゴメン、僕だよ。悪かったな、電話取れなくてさ」
『そんなことはどうでもいい。私も今から帰国する。何か手伝えることがあれば――』
「御剣」
電話越しに息を呑む気配が伝わる。
アイツらしい言葉だった。
けれどそれを受諾してしまうわけにはいかなかった。
ここで僕が甘えてしまったらオマエは終わりなんだと僕自身を納得させるように言い訳を繰り返す。
言葉は如何様にも繰られた。それでも出てきたのは一言だけだった。
「ゴメン、な」
僕はそう言って、電話を切った。
返事など聞きたくなかった。嘘だと言ってしまいたい自分が居た。
だから携帯電話の電源を切った。
何も聞きたくないし、何も見たくなかった。
「あれ?」
涙が止まらなかった。嗚咽だけを繰り返して。
僕は、ただ泣いていた。

月日が経てば次第に忘れるだろうと思ったのに、思い出はますます僕を苛んだ。目を閉じれば嫌でも脳裏に思い浮かぶ顔が煩わしくて仕方なかった。
「パパ、顔色が良くないよ」
みぬきが酷く心配そうに僕を見ている。こんな小さな子に心配されてまで我を張る必要があるのだろうか。もしかしたらそんなのは僕一人だけのことで、もう御剣は僕のことなんて忘れてしまっているのかもしれない。幸い、御剣は事務所に訪れることはめっきり無くなった。僕の職場にもビビルバーにも訪れることはない。ピアニストと検事なんて接点は何処にもなくて、それは僕に安堵を与えた。
夜に眠れなくなったのはいつからだろう。
寝ても自分の呻き声で起きてしまう。だから、夜に仕事を入れた。何も考えなくてもいいようにそんな仕事を入れた。

食事は最低限、みぬきを心配させない程度。睡眠は削ってるから、体重は落ちた。
「頬が削げて凄味が増したね、ナルホド兄さん」
「そうかな」
「いっそヒゲも生やせばもっとヤサぐれて見えるかもよ」
彼女の意見を取り入れて、僕は無精ヒゲを生やすようになった。
それは夜の仕事には最適で、寝る間もなく客は来た。胸痛を誤魔化すためにスリルのある仕事を求め、寂寥感を埋めるために僕は女を抱いた。香水臭い女性客はあまり好きじゃなかったけれど、いかにも『ヒモ』といった僕の風体は彼女たちを喜ばせ、それなりの金を落としていった。

キミはこんな僕を知らない。
知らなくて良い。
こんなに自分が弱いとは思わなかった。失う怖さを知らないわけではなかったのに、大丈夫だと自分に嘘を吐いて。
「その結果がコレか・・・・・・」
涙はとっくに涸れていた。声も酷く嗄れていた。心は最早枯れていた。

ある日、真宵ちゃんが事務所にやってきた。
僕のやつれた顔を見て顔を歪めていたけれど、やがて諦めたように溜息を吐いた。
「なるほど君が選んだっていうんなら、あたしは止める権利なんかないもん」
「ありがとう、真宵ちゃん」
「でも本当に大丈夫? なるほど君」
「うん、僕は大丈夫だよ。それなりに食べていけるしさ」
「そうじゃないよ。ミツルギ検事」
疼痛が増して、僕の胸を苛む。
僕はただ笑ってみせて、それを誤魔化した。
「アイツは一人でも生きていけるよ」
「それならいいんだけどさ」
真宵ちゃんはフッと黙り込んで、床を見つめた。
何か言いたそうな顔がみぬきとダブる。
僕は力なく笑って、ごめんね、と真宵ちゃんに謝った。

何かしらフィルターを介してしか己を確認できなくなっていた。
酷く存在が希薄なものに感じられて、僕は何度も鏡を割った。
何かしている自分を更に見つめる自分がいる。
女の人を抱いていても冷めた視線で僕を責める僕がいる。
どれだけ僕自身が分裂しているのか分からなかったけれど、それをしないことには耐え切れなかった。上手く切り分ければいい、と僕は僕自身を誤魔化している。

「なるほど君」
「千尋、さん?」
かつての上司を目の前に僕はただ立ち竦むだけだった。
彼女にだけは知られたくなかったけれど、彼女に縋りたい気持ちで一杯だったことは否めない。
「どうして、ここに?」
「真宵があんまり心配するものだから、ね。まさかココまで荒んでると思わなかったわ」
「むさ苦しい形ですみません」
「そういう意味じゃないわよ、なるほど君」
些か険を帯びた眉根がシワを作っている。
僕のせいで彼女にそんな顔をさせてしまっているのだと思うと情けなくなって、僕はぎこちない笑みを作るだけだった。
「どうして御剣検事と別れたの?」
「それはアイツのためを思って」
「御剣検事の気持ちは聞いた?」
「いえ――」
「貴方ひとりでどうにかなると思った?」
僕は、答えられなかった。
「貴方のせいで御剣検事が壊れたらどうするつもりだったの?」
「アイツが・・・どうか、したんですか・・・・・・?」
「分からないとは言わせないわよ」
詰問口調の千尋さんに僕は萎縮し、声音が震えた。
かつての置き手紙がフラッシュバックする。
「自分のことで一杯なのは分かるけれど、少しは考えなさい」
「すみません」
「貴方がやるべきことは私に謝ることじゃないでしょう?」
「・・・・・・はい」
「『しない』という選択肢は『出来ない』よりもタチが悪いのよ。なるほど君」
だから、動きなさい。と。
千尋さんはそう言って、事務所を出た。
僕は頭を下げて、ゴメンなさいと小さく呟いた。

僕は事務所を出て、検事局まで走った。
顔見知りの事務官が酷く驚いた顔をしていたけれど、それでも黙って局に入れてくれた。13階までのエレベーターがもどかしい。ドアが開くや否や飛び出すと、御剣の担当事務官に出くわした。そこで御剣が早退したことを告げられる。
「アイツ、風邪でも引いたんですか?」
「いえ、ただココのところ無理が過ぎましたから」
「無理って、そんなに忙しいんですか?」
「・・・・・・無理矢理忙しい状況を作ってたみたいです」
「そう・・・ですか・・・・・・」
僕は局を辞して、御剣の自宅へと向かう。
と、検事局内の駐車場に御剣の車が見えた。
歩いて帰るには些か遠い自宅のはずだ。置いていくのは不自然すぎる。
とは言え、歩いていけるような範囲でアイツの行きそうな場所と言えば。
「・・・・・・僕の、事務所?」
電話も掛けずに僕はただ事務所への道を走った。

事務所近くの角を曲がって、僕は息切れた身体をぜえぜえと上下させる。
熱い。脇腹が痛い。息が苦しい。
僕は纏わりつくパーカーを脱いだ。
半ば引きずるように事務所のビルの階段に足を運ぶ。
そこには蹲った御剣が、居た。
「み・・・つる・・・・・・ぎ?」
荒れた息で僕は名前を呼んだ。
ビクリ、と肩を揺らせて御剣が顔を上げる。
その顔は驚くほどやつれていて、僕は別人を見たのかと錯覚した。
「・・・なる・・・ほど・・・・・・う・・・」
嗄れた声音だった。
けれど彼の声だった。
愛して止まない、声だった。
ふらふらと御剣が僕の胸に飛び込んだ。
じわりと濡れているのが僕の汗なのか、それとも御剣の涙なのか分からなかった。
「成歩堂。成歩堂。なるほどうッ」
声が胸に染みた。
満たされる己が居た。
この胸の中に居るのは確かな存在で。
確かに御剣怜侍という存在で。
それでも僕はまだ信じられなかった。
「何で・・・オマエが居るんだよ・・・・・・」
幻を見てるかのような、そんな心もとない足元でジリ、と地面を踏み躙る。
「何でッ、オマエがココに居るんだよッ」
僕は自分をコントロールできない。
勝手に咽喉の奥から飛び出た叫びを御剣にぶつけてしまう。
「だって・・・オマエは・・・・・・僕が居なくても・・・・・・・・」
縋りついた胸から顔を離して、御剣は僕を見据えた。
赤く腫れ上がったその目で僕だけを見据えていた。
「成歩堂」
名前を呼ばれて、ビクリと慄いた。
ソレを見た御剣が小さく笑う。
「成歩堂」
噛み付くように御剣は僕の唇を求め、唇をこじ開けて舌を絡めた。
止まらなかった。僕もまた人目など気にせずにむしゃぶりついた。誰が見ようと構わなかった。僕はこれほどまでに彼を求めていたのだと気付き、今更ながらに己を哂った。

キミはこんな僕を知らない。
知らなかったはずだ。
僕は知らずにキミにまで虚勢を張っていたのだろう。
だから知らない。これほどまでに弱い僕を知らない。

「キミはこれでも私が一人で生きていけると言うつもりか?」
泣いているのか笑っているのか、それとも両方入り混じっているのか。
そんな表情でキミはそう言って、僕の唇をもう一度塞ぐ。

知ってほしい。
キミが居なければ僕は生きていく意味を失ってしまうことを。
知ってほしい。
キミが居なければこんなにも残酷になれることを。
知り尽くしてほしい。
僕はキミのために生きていることを。

「キミは、強いと思ってたよ」
「この姿を見てもそう言えるか?」
「ゴメンね」
本当にゴメン、と僕は彼を抱きしめる。
御剣は僕だけを求めていて、僕も御剣だけを求めていた。
それなのに僕だけの都合で、彼をひとりにしてしまったことを本当に申し訳なく思う。
「成歩堂」
「うん」
その甘えた声も久しぶりだね。僕は彼の目を覗き込んで、そっと笑った。


※【を:愚かしいのは私一人】と対。こちらはなるほど君ver。馬鹿話からは想像できないほど重々しい雰囲気でゴメンなさい。なるほど君が荒んでてゴメンなさい。書いていて辛いのは御剣さんだけど、書いていて止めたくなるのはなるほど君です。