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※ちょっとしたお話

【020:雨上がり】0:03 2007/09/22

雨の匂いが好きだった。
降り始める前の、ほんの少し埃臭い湿った空気。
翳ってきた空を見上げると、ぽつりと雨粒が頬に当たる。
ぽつん、ぽつん、ぽつぽつぽつ。
ザアザア、と音が変わるまでさほど時間は掛からない。
本降りになる前に飛び込んだ喫茶店は雨のためか、開店休業を装っている。
サアアア、と雨が細かく飛び散って、店のガラスを湿らせていく。
「ご注文は?」
いつの間にか傍に立っているマスターはやはり暇を持て余してるようだ。
柔和な顔ではあるものの、少しつまらなさそうに目を半分閉じている。
「モカと、クラシックショコラを」
「かしこまりました」
傘が揺れながら、窓の外を過ぎていく。ワイパーを忙しく動かした車が、ザアと飛沫をあげて通り過ぎた。
雨は街を静かにさせてくれる。
キィ、とドアが開いて、カランコロンと閉まった音がした。
フッと振り返るとシャツを雨で色濃く染めた男が立っている。
男が顔を上げ、目が合った。
「――――神乃木、先輩」
「ん? 何だ、コネコちゃんじゃねえか」
「どうしてココに?」
「それはオレの台詞だぜ」
ククッ、と笑いながら、先輩は私の真向かいに座る。
髪の先から雫がぽたりと垂れた。
「マスター、いつものだ」
「はい」
そのやり取りだけで済むという事は、常連なのだろう。
ふとココがコーヒーショップであり、場違いなのは私のほうだと思った。
「よく来るんですか?」
「まあな。だけどアンタと出会すのは初めてだな」
「当たり前ですよ。初めて入ったんですから」
お待たせしました、とマスターがケーキとコーヒーを運んできた。
ふわりとあがる香気に鼻腔を擽られ、大きく溜息を吐いた。
パラパラと軒先に雨が弾かれた音がする。
耳を済ませると、店内にスロージャズが流れていることに今更気づいた。
「オレのお気に入りさ」
「え?」
「聞いてたんだろ、この曲」
「あ、ええ、まあ」
「ジャズのスタンダードナンバーだな。アレンジは多いんだが、まあオレはシンプルな方が好きだ」
ピアノとベース、それからアルトサックスが複雑に、そして絶妙に絡み合って音を生み出していく。あまりジャズは詳しくなかったけれど、この曲は好きだなと思った。
「良い曲ですね」
「ああ」
会話が途切れ、再び雨音が耳に飛び込む。いつもなら気まずいはずの沈黙は、どこか心地よく、緩やかに時間が過ぎていた。多分、目の前に座っている男が寡黙をスタイルとしているからだろう。一人よりは張り詰めた空気が背筋を伸ばし、それでも何故か心は落ち着いている。
ゆるゆるとコーヒーを喫して、ケーキを頬張る。
甘すぎない、コクのあるビターチョコレート。
美味しい、と小さく呟くと、そうか、と微笑まれた。
甘いけれどほろ苦い。このケーキと似たような微笑み。

ふと外が明るくなる。
「止んだな」
「あ、ホント」
止み損ねた雨粒が太陽光でキラキラ光っていた。雲の切れ間に光が差して、ほんの僅かな虹を生む。
「美味かったかい?」
「ええ、とても」
「じゃあ、次のデートはココで決まりだな。コネコちゃん」
「な、何言ってるんですか。先輩ッ」
「あっはっは、照れることはねえさ。オレが暇な時は一緒に連れて来てやるよ」
「もうっ」
カランコロン、とベルが鳴る。
ドアが閉まる直前のほんの少しの隙間から、マスターお得意の水出しコーヒーがポタン、と静かに落ちる音が聞こえた気がした。


※神乃木先輩と千尋さん。やっぱり何故かコーヒーは必須。そしてケーキ。千尋さんは甘すぎないものが好きそうです。ビター系とかタルト系とか。何気に手作りでパイとか焼いてそうですね。ベイクドチーズケーキとか。ああ、久しぶりに作りたいなあ。