【019:ホテル】9:56 2007/09/17 この窓の向こうに、千尋さんが居たんだよな。 僕はぼんやりとガラスに手を当てながら、事務所を見下ろしている。 ブラインドが掛かっていて中は見えないけれど、多分真宵ちゃんと春美ちゃんが今頃一生懸命トノサマンを録画しながら見ているところだろう。少なくとも30分。いや、映画版の放映スペシャルだって言ってたから更に2時間。 つまり、その時間は真宵ちゃんたちからの呼び出しは絶対に無いといって過言ではない。 「どうした、成歩堂」 「うん、何でもないよ」 何でもない、ただのホテルの一室。 あの事件で彼女が目撃したはずの部屋。 今はエグゼブティブルームなんて大それた名前になってはいるけれど、改装は特段されたように見えない。まあ、辛うじてベッドがキングサイズをドカンと一個だけ置いてあるところがそれらしいと言えばそれらしいのだが。 っていうか、あの支配人も気を利かせすぎだぞ。オイ。 僕は内心ツッコミつつ、ベッドへと戻る。 脇に置かれたワゴンにはアイスペールが乗っており、それなりに高そうなワインが赤と白それぞれ刺さっている。もちろんチーズの盛り合わせもある。 「コレ頼んだの?」 「いや、あの支配人が勝手に持ってきた」 サーヴィスの一環、というところか。 何企んでるか分からないけど。 「呑む?」 「一杯頂戴しよう」 「赤? 白?」 「赤だ」 T字のコルク抜きをきゅるきゅると巻いていき、ゆっくりと引っ張る。 きゅぽん。 抜栓の気持ち良い音が室内に響き、僕は緩いカーヴを持ったグラスにワインを注いだ。ゆるゆると満たされていくワインを二杯注ぎ終わると、片方を御剣に手渡した。 「乾杯する?」 「キミが様式を気にするとは思わなかったな」 「僕のこと何だと思ってるんだよ」 「何とも思わん」 チィン、と軽い音を立ててグラスを軽くぶつける。 口元に運んだワインはそれなりに美味しい。少しダークチェリーのような後味が残るのが面白かった。 「ほう、安物かと思ったがそうでもないな」 「あの支配人も何考えてるんだろうねえ」 「何やら企んでるようではあるが、いちいち気にしていたら身が持たん」 「まあね」 あっという間に一杯どころか二杯、三杯と重ねていく。 「昼間から一本空けてどうするつもりだ、酔っ払い」 「うるさいなあ、お前も呑んでるだろ」 「違いない」 可笑しそうに笑う御剣も案外酔ってるのかもしれない。 空いたグラスをワゴンに戻し、僕はゆっくりと御剣に近づいた。 「御剣」 「そうがっつくな。見苦しいぞ、成歩堂」 「あんまり時間無いんだよね、今日」 「人を呼び出しといて随分な言葉だな。私が女ならその横っ面を引っ叩いてるところだ」 「で、御剣ならどうするのさ」 「鳩尾を蹴り上げる」 「冗談だろ?」 「冗談だとも」 ニヤリと笑って応戦する様は何ともふてぶてしい。 というか、ちょっとカッコイイ。くそ、コレだからモテるんだ。コイツ。 「どうした、諦めるのか? 弁護人」 「誰を弁護してるんだよ、僕自身か?」 「ハッ、他に誰がいる」 「あーもー、分かったよ。分かりました。参りました。・・・・・・コレでいいか?」 「良い、と言うと思ったか?」 へ? という僕の間の抜けた声は御剣の唇に掻き消される。 ええと、これはどういうことなんだっていうか、いつの間にか押し倒されてるような。って、ちょっと待て。 「時間が無いのだろう?」 「え、うん、そうだね。って、イヤイヤイヤ、展開早いだろ。どう考えても」 「キミが誘ってきたのではないか」 「うう、そうだけどさ。こう、ムードって言うか」 「今更ムードなどとフザケたことぬかすのか、キサマは」 小さく笑われて、僕は諦めて溜息を吐いた。 「僕、そんなに普段の行いが悪いのかな?」 「自分の胸に聞いてみたまえ」 「少なくともオマエに関しては紳士的に振舞ってるつもりだけど?」 「冗談だろう?」 「冗談だよ。ああもうっ」 御剣のスーツのラペルを掴んで、ぐいっと引き寄せる。 「じゃあせめてホテル代くらいは元を取らせてもらうからな」 「大口叩くならばそれなりの行動を伴いたまえ、ハッタリ弁護士」 にんまりと笑う御剣の首元に腕を回して、今度は自分から口付けた。
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