【017:セピア色】18:58 2007/09/16
昔は。
セピア色なんて当然古い記録だとか写真だとかそういうものを連想したらしいけれど。
今となっては懐古趣味の人間しか使わないような、そんな色。
それでもその色は、何故か昔の記憶を呼び覚ます。
そんな、色。
「懐かしいわね、なるほど君」
「3年、経ちますからね」
シンプルな写真立てに入っているのは、御剣の裁判の時の写真だ。
矢張に真宵ちゃん、ナツミさんやイトノコさん。御剣と僕。それから。
「所長も写ってますよ」
「うふふ、もう私は所長じゃないわよ」
「僕にとっては所長ですよ、いつまでも」
目の前に立っている千尋さんは、何処からどう見ても千尋さんで。
髪型や服装は真宵ちゃんのモノなんだけれども、それでもやっぱり。
「まだ僕には千尋さんが死んだ、って信じられないですよ」
ポツリ、と呟いた。
何か言われるかと思ったけれど、何にもない。
どうしたんだろうと顔を上げると、困った表情の千尋さんと目が合った。
「なるほど君」
「はい」
「事実を誤認してはダメよ。真実が見えなくなるわ」
「理屈では分かってるんですけど・・・・・・」
フッと笑う吐息が聞こえた。
「私は確かに死んでるのよ。ここに在るのは仮初めの姿。もう『私』という入れ物は消えてしまったの」
あの時、この場所で、あの男の手に掛かって、死んだ。
だから、『綾里千尋』は法的にはとっくに居ないことになっている。
「でも僕は覚えてます」
「そうね。真宵もきっと覚えてくれるわ」
「ゴドー検事も、覚えてるはずです」
僕がそう言うと、千尋さんは懐かしむような思い出すような、そんな柔らかい眼差しで外を見る。開け放たれた窓から風が抜けていく。もう、春は近い。
「あの人も・・・そう・・・・・・」
風で髪が流れていく。
元々キレイな人だと知っていたけれど、愁いを帯びた横顔は、僕の見たことのない表情で。
それは、美しかった。
「会いに行かないんですか?」
「会ってもしょうがないわよ。未練が残るのもイヤでしょう?」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものなのよ。私たちは」
錯綜し、交錯したと思ったら、途切れてしまった糸の様に。
「死んだ人間に拘ったって、何も良いことなんてないわ」
「千尋さん」
「そういえば御剣検事は元気?」
「そんなこと急に言われても分かりませんよ」
「貴方たち、付き合ってるんでしょう?」
「な、何を根拠にそんな―――真宵ちゃん、ですか?」
「いいえ。アナタが前に弁護士になった理由を教えてくれたことがあるでしょう? あの時から薄々感じてはいたのだけど。まさか、男とは思わなかったわ」
「うう。や、やっぱり止めたほうがいいんでしょうか?」
「あら、恋愛は個人の自由よ。世間の目なんか気にせず進みなさいな。誰だって幸せになる権利はあるんだから」
そう言って軽やかに笑う姿は、やっぱり所長なわけで。
懐かしいと同時に寂寥を感じるのは、故人だから、なのだろうか。
「・・・・・・はい」
僕は小さく返事を返して、同じように窓の外を見る。
空にはゆるい雲がいくつか、ぷかりぷかりと浮いていた。
冷たいような、暖かいような、不思議な風がゆるりと抜ける。
「なるほど君」
「はい」
「先輩に―――あの人に『ごめんなさい』って伝えてくれる?」
「・・・・・・・・・分かりました」
「ありがとう」
街の雑踏、車のエンジン音、それから、人の話し声。
それは紛れもない日常の音。
カタン、と物音がして振り返ると真宵ちゃんがううん、と唸っていた。
どうやら千尋さんは戻ったものらしい。
「大丈夫? 真宵ちゃん」
「うう、ちょっと頭痛いかも」
「ソファにでも座りなよ」
「うん、そうしとく」
真宵ちゃんがふらふらとソファに辿りつき、横たわった。長時間の降霊はやはり疲れるのだろう。
「死んだ人に拘っちゃいけない、か」
僕はもう一度写真を見て、スッと撫でる。
きっと忘れることはないだろう。
だから、大丈夫。
「なるほどくーん」
「うん、どうかした?」
「お腹空いたよ。ラーメン食べに行こうよ」
ニッコリ笑って、ラーメンと繰り返す姿はいつもの真宵ちゃんで。
「お姉ちゃんの分まで今日は食べるからね」
「あんまり無理するなよな」
「大丈夫、大丈夫。ラーメンは別腹、だからね」
このやりとりさえいつも通りで。
「『やたぶきや』でいいかな?」
「うんっ」
カラン、とドアを鳴らしながら、僕らは事務所を後にした。
※ナルチヒ。初めて書いた。この二人の場合ってなんだか成→千ですね、やっぱり。でも師弟愛というか、お姉さんというか、お母さんというか、そんな感じで書いてしまいました。うちの二人は恋愛には発展しないみたいです。精々、憧憬レベル。傷ついてもそれを柔らかく受け止めることが出来るのが千尋さんだと思っています。