【010:キーボード】1:28 2007/09/20
カタカタと僕は物語を綴っている。
古ぼけたノートパソコンの画面に真っ白な余白が広がっている。
カタカタと僕は記憶の限り綴っていく。
文字の羅列が余白を徐々に侵食していく。
侵食して、埋め尽くしてしまうまで。
裁判員制度、というのは僕が子供だった時から話題になっていたことだった。その頃はよく分かってはいなかったのだけれども、あまりに日常から乖離しすぎた司法の場を民間に公開しよう、という名目だったような気がする。
実験的に始められたソレは、杜撰なシステムと情に流された民間裁判員の手によって滅茶苦茶になった。というよりも、元からそんなものは危惧されていたものだったと当時の雑誌では叩いていた。
裁判員の選び方もランダムのはずが、選出された社会人は仕事という理由で不参加を訴えるため、参加率の低さから主婦層や老人に固められていく。そうすると加害者であるはずの被告人があたかも仕方なく犯行を犯したのだと涙ながらにうったえる、それに騙された民間裁判員が可哀想だと偽善を振りまく。そうして即席エンタテイメントショウが出来ていく。最早そこは裁きの庭ではなく、ただの喜劇の場と化したのだ。
結局、裁判員制度は2年ほどの試験運用であっさりと潰れてしまい、その代わりに現在の序審裁判制度が設けられたのだった。
「で、オマエはその潰れた裁判員制度をもう一度復活させたいってことでいいのか?」
「ウム、キミとて序審裁判制度の欠点くらい重々理解の上だろう?」
「まあね」
「その欠点を埋めるために最適だったのが、その裁判員制度というわけなのだよ」
ぼんやりと企画書を見つめる僕に、意気揚々と御剣が説明を始めた。
くどくどと分かりづらい表現も入ってはいるが、要するに現状の制度の不足を補うための新制度が必要だと、そういうことだった。
「まあ、確かに序審なら裁判員の決めた判決が控訴差し戻しってのはないかもしれないけどさ。前みたいに被告人がお涙頂戴ってな感じで演技したらヤバくないか?」
「ウム、それは考えた。しかし考えてみたまえ。基本的には序審裁判制度が適用されるのだ。証拠が重要というのは今までと変わりない」
「証拠が少なけりゃどうするんだよ。結局、裁判員の心証に掛かってるわけだろ?」
「だから今回のテストケースなのだ」
合点がいった。
「・・・・・・オマエに心配されるほど僕は困ってないよ、御剣」
「あくまでテストケースだ。そもそも物証が少ない事件で簡単な事件など無い」
「ソレは表向きの理由だろ。本音を言えよ」
「意趣返しとでも言えばキミは受け入れてくれるのか?」
ククッと笑う親友の姿に僕は何とも言えない表情を返しつつ、もう一度渡された企画書を読む。
「まあ、それも面白いかもしれないけどさ。御剣、この企画どこまで進んでるんだ?」
「あとはキミの了承を得るだけだ」
「僕の?」
「委員長として取り仕切って貰えないだろうか。勿論、意見等あれば私に言ってくれて構わない。その旨善処させてもらう」
「いいのかよ、そんな大役をさ」
「テストケースだからな。キミなら決して裁判員にミスリードさせない、と三者協議会で決定した所だ。キミは色々有名だからな。多少裁判が荒れるくらいは、判事も弁護士会も承諾済みだ」
ブリーフケースから新たな封筒を取り出して、中身を曝した。法務省には既に認可済みと書類には記載されている。本当に、青天の霹靂というやつだ。
「企画を通して実行までに7年掛かった。次はキサマが動く番だぞ、成歩堂」
「ココまでお膳立てされて、イヤです、なんて言えるかよ」
自然、口の端が上がっていく。咽喉の奥から笑い声が洩れ出てくる。ああ、本当に馬鹿なのは僕だろうか、コイツだろうか。
「裁判員の選出権も当然僕にあるんだよな?」
「無論だとも」
「じゃあ言うことないよ。受けさせてもらう」
意外に重い書類の束を僕は受け取って、一番上の書類にサインと捺印。それ以外は封筒に入れて、脇に置いた。
「コレでいいんだろ?」
「ウム、よろしく頼む」
「あはは、僕の方こそ久しぶりだから上手く出来ないかもね」
「キミはいつでも行き当たりばったりだろう? どんな突発的なことでもキミならば、多少乱暴なやり方とはいえ、必ず対処できるはずだからな」
「褒めてないよ、御剣」
「褒めるわけがなかろう。愚か者」
ふふん、と笑われて、僕も笑い返した。
キーボードに叩き込むひとつひとつの文字は、意味を成した文章と化していく。
僕が覚えている限りの物語を織り込んで、埋め込んで。
カタカタと打ち込まれていくシナリオという名の真実は、闇を纏い、その身を隠している。
それを暴く者が居ると知っているからこそ、僕は物語を、過去を綴っていくのだ。
文字の羅列が余白を徐々に侵食していく。
侵食して、埋め尽くし、そして。
「出来た」
ヴヴ、と鈍い音を立ててプリントアウトされる物語は、バッジの記録と共に裁判員に真実を突きつけてくれるのだろうか。
僕は小さく笑いながら印刷された用紙を引っ掴み、検事局へと赴いた。
※4直前か4−2くらい。裁判員制度に関しては全くの私見なので、何とも言えませんがプロから見たらどう思うんでしょうね。御剣さんが言うように序審裁判制度と組み合わせればかなり良い感じなのかなあとは思いました。現状の裁判員制度だと地裁レベルになる上、控訴差し戻しだと判決の意味がなくなっちゃうんですよね。ただ、その状態で分かりやすくするためにホワイトボードまで使って状況説明する地検は凄いと思いますよ。自白も出来る限り、使わないそうです。弁護士と違って、検事・判事に関してはかなり人手不足かと思いますけど、その仕事量に関しては本当に尊敬に値します。