【005:寝不足】23:27 2007/09/19
ほんの少しの仮眠では余計に疲れるだけだと知りながら、それでも下りてくる瞼を開ける余力は既に無い。ぼんやりと霞んできた意識に、仕事にならないなと呟いて、よろける身体をどうにかソファまで運ぶ。どさり、と身体を投げ出してぐったりと横たわるとチラチラ光る蛍光灯に眉を顰める。消そうかと頭では思いながら、身体はどうにも動かない。
仕方あるまいと諦めて、ゆっくり息を吐く。思考は徐々に混濁していく。ゆらゆらと光と闇が螺旋に巻いて、ぷつんと途切れた。
目覚めると見覚えのある天井だった。
見慣れたインテリアは自室のソレで、いつの間に着替えたのかスーツではない。
どういうことだと考えるより先に寝室のドアがパタンと開いた。
「あ、起きた?」
姿を見せたのは成歩堂だった。いつもの青いスーツではないものの、髪型は相変わらず尖っている。
「寝起きで悪いけど、朝ゴハンできてるよ」
「むゥ」
「とりあえず顔洗ってこいよ」
パタン、と閉められたドアを見る。とりあえず夢の続きでは無いようだ。手の甲を抓ると一応痛い。というか、これで夢だったら己の願望ということになり、少し物悲しいものがある。
おざなりに掛かっていた布団を引っぺがして、ベッドから抜け出した。スリッパが無いのに眉を顰めながら、素足でペタペタ歩いていく。寝室のドアを開けると、ふわりと香気が鼻を擽った。
「おはよう、って言ってなかったね。そう言えば」
キッチンで紅茶を入れながら、成歩堂がカラカラ笑った。
やはりおかしい。
「なぜ、キサマがココに居るのだ」
「うん? 何でって言われてもなあ」
「私は昨日、局に居たはずだ」
「うん、居たね」
「自宅に戻った記憶は無い」
「まあ、そうだね」
「しかし、現に私は自宅に居る。何故かキサマも含め」
「うん」
頭痛がぶり返したような気がして眉間のシワを深くする。が、正面に座る男はニコニコと笑うばかりで一向に要領を得ない。
「・・・・・・説明しろ、成歩堂」
「うん、いいけどその前に顔洗ってこいって。食べながら話すから」
出来得る限りの低い声音は功を奏さなかったようだ。成歩堂は意外に頑固だと知っている。ここは言うことに従わない限り、教えてはくれないだろう。
釈然としないものの言われたままに洗面所に向かい、顔を洗う。
ぼやけた意識が浮上して、視界もクリアになった。濡れた顔を拭きながら鏡を見ると、目の下に色濃い隈を作り、眉間がヒビ割れた顔が映る。無精ヒゲがみっともなく伸びており、ザラリと触った。
酷い顔だとぼやきながらヒゲを当たり、残ったシェービングジェルごと顔を洗う。肌が酷く荒れているのは分かっていたがそれは諦めて、ひとまず朝食のためにダイニングキッチンへと戻った。
「あー、大分マシになったね」
「顔は洗ったぞ。約束どおり説明しろ」
イスに座ると、スッと紅茶の入ったカップを出された。
適温60度。お茶だけは入れるのに慣れたものらしい。
「まあ、何て言うかさ。説明するほどでもないだけど」
まるで緑茶を飲むように啜る成歩堂を睨むと、視線を逸らされた。
「オマエが執務室で仮眠取ってるときにイトノコさんが来たらしいんだよ。で、呼んでも起きないから過労でぶっ倒れてるって勘違いしてオマエ付きの事務官のさ、タナカさんに連絡取ったみたいだね」
「・・・・・・そうか」
私は眉間を押さえて、大きく息を吐いた。
疲労が溜まっていたのは確かだが、まさかソコまで過剰に心配されていたとは気付かなかった。
「で、ソコから先は僕もちょっと疑問なんだけどね。タナカさん、何故か知らないけど僕の携帯電話の番号知っててさ。で、夜中なのに呼び出されてオマエのこと押し付けられたんだよね。笑顔で」
ゴクリと紅茶を飲み干して、成歩堂は溜息を吐いた。
状況としては理解できないことも無いが、まだ情報が足りない。
「キミが居る理由は分かった。しかし、何故私の家なのだ?」
「え、だってキミが帰りたいってごねたんじゃないか」
話によると、夜中に呼び出された事務官が半ばキレ気味に成歩堂に押し付けて帰った後、一度私が起きたものらしい。状況をいまいち把握していない成歩堂がどういうことだと私に理由を聞いたところ、とりあえず家に帰ると言ったようだった。成歩堂の呆れ顔からすると相当ごねたものらしい。ソレを見た糸鋸刑事が送っていく、ということで私のマンションまで連れてきて、部屋まで運んでくれたようだった。
それならばこの場に糸鋸刑事が居てもおかしくは無いはずなのだが。
「イトノコさんなら『ヤッパリ君に後はまかせたッス』とか言って帰っちゃったよ」
無責任だよね、と唇を尖らせながらぼやいている。。
「すまなかったな」
「うん? ああ、いいよ別に。明日も休みだし。オマエだってそうだろ?」
「いや、私は」
「その状態で仕事出来るわけないだろ?」
「むゥ、しかし丁度仕事が重なって」
「だーかーらーッ。オマエが仕事に行くとか言い出したら、タナカさんに怒られるの僕なんだぞ。大人しく休んどけよ、僕の平和のために」
「・・・・・・ぐっ」
「御剣、返事になってないぞ」
「ぬう。しかしだな」
「返事は?」
成歩堂は口元に笑みを浮かべたまま、私を見据えた。目が笑っていない、というか完全に据わっている。何だかんだと夜中に叩き起こされて厄介ごとを押し付けられたのだ。かなり不機嫌なのだろう。これ以上の反論は聞き入れてもらえまい。
「むう」
すっかり冷めた紅茶を口にして、生温い液体を嚥下する。私は諦念を込めて、もう一度溜息を吐いた。
※御剣付きの事務官・田中さん(36)。既婚。旦那は判事、名前は善次郎(42)。子供は二人。小学1年と5年。官舎住い。局内女性職員から羨ましがられているものの、本人は旦那一筋のため、あんまり嬉しいとは考えていない。バレンタインデーには御剣へのチョコレート臨時受付と化す。ホワイトデーは逆に女性職員へのメッセンジャーと化す。子供がトノサマンにハマっており、一緒に見ていた本人もついついマニアの領域へと足を踏み入れかけているらしい。
だから、なんでそういう無駄な設定ばっかり思いつくんだろう。