げ、という声が聞こえて、あたしは思わずテレビから目を離した。
声の元はなるほど君。一応、ここの所長、という肩書き。もっとも影の所長はあたしだけど。
トンガリ頭の青いスーツが目印。最近になって、ようやく実力も認められてきたのか仕事の依頼もちょくちょく来るようになった。
元はお姉ちゃんの事務所だから、繁盛するのは何よりだと思う。
「真宵ちゃ〜ん、ゴメン。お使い頼まれてくれない?」
申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせてるなるほど君の顔をみて、あたしはどんな用?と尋ねたのだった。
手紙を出そうと思ったら生憎切手が無かった。
エアメールだから110円。いっそ80円を2枚貼ってやろうかとも思ったが、そもそも切手など持ち歩いていないことに気付く。むう、と唸るが如何ともしがたい。
仕事も丁度キリの良いところだったから、私は切手を買いに郵便局へと足を運んだ。
「あ、ミツルギ検事。どうしたんですか?」
あたしは見慣れた赤いスーツに声を掛ける。
声を掛けられた当人は驚いていたようだったけど、すぐにウムとか言ってこちらに気付いた。
「真宵クンか。いや、郵便を出しに来たのだよ」
そう言って無駄に髪をかき上げる仕草に周りに居たお母さん達が怪訝そうに眺めている。
まあ、色んな意味で目立つ人だからなあと思いながら、あたしは笑った。
「ところで真宵クンは何のようで郵便局へ?」
「なるほど君から収入印紙買ってくるよう頼まれたんですよ」
「切らしたのか」
「みたいです」
「相変わらずやってるようだな。まあ、アレのうっかりはキミが注意したまえよ」
「勿論です。なんたって影の所長ですから」
なんだか不思議に会話が弾んでいると、窓口の人に呼び出された。
いけない、頼んだままだった。
収入印紙と、ついでに切手を10枚くらいと追加してると入り口で女の人の悲鳴がした。
「真宵クンッ」
ミツルギ検事が叫ぶ。あたしは、え、と間の抜けた声を出して振り向くと、黒い腕に首を締められた。うう、苦しい。うまく声も出ない。何があったのかさっぱり理解できないまま、あたしは呆然としていた。
郵便局に着くと真宵クンに声を掛けられた。いつでも元気な少女だ。
押しが強いので少し苦手なところもあるが、まあ女性とはそういうものだろう。
一言二言会話を交わしていると局員が真宵クンを呼ぶ。
会話を切り上げ、私は窓際のベンチに腰掛けた。
と、入り口でATM操作をしていた女性が叫んだ。
何事かと腰を浮かす前に飛び込んできた黒い影は、窓口にいた真宵クンを捕まえようと手を伸ばした。
「真宵クンッ」
叫んだが、既に遅く、真宵クンはその黒い影に捕まってしまった。
手にはナイフを携えている。もちろんその刃先は真宵クンの首元にピタリと当てられていた。
「動くなッ」
頭にはフルフェイス、身体はバイクスーツ。手袋まで嵌めており、素肌が見える箇所は一切無い。
ナイフを構える腕は全く動かず、慣れてるな、と私は踏んだ。
下手に抵抗すると真宵クンの命が危ない。
黙っているとその男は局員に向かって金を用意するよう要求する。
慌てて手提げ金庫内から局員が金を取り出しているが、郵便局でそれほど大金を用意できるわけが無い。出てきた金は当然札帯の掛かった束が4個というところか。500万円にも満たない。
男はソレを袋に入れるように指示している。注意が金に向いている。今だ、と私は男へ向かって走った。
「あ」
誰かが声をあげた。どうやら受付の局員があげたものらしい。
余計なことをと思いながら、私は構わず男へ飛び掛る。
気付いた男はナイフを私に向け、顔を突いてきた。本当に慣れている。
私は腕で庇いながら、男の肩を殴った。真宵クンが目を丸くして、腕から抜けだそうとするがガッチリと固定されているらしい。
留まった男がもう一度私に向かって、ナイフを向ける。もう一度突くつもりか。
そう思って構えると、男はナイフの手元についていたボタンをカチリと押した。
途端、刃先が飛び出す。飛び出しナイフか、と私は毒づいたが、ナイフの刃は考えるより先に庇っていた腕に突き刺さった。
「ミツルギ検事ッ」
あたしは腕で押さえられた口をもごもごと動かしながら、ようやくソレだけを叫んだ。ナイフが刺さった腕をだらりと下げて、それでも男に向かおうとする。
あたしはどうにか自力で抜け出さなきゃ、ともがいたけれど強い力で抑えられて全く外れない。
どうしよう。助けて、なるほど君。
思わずなるほど君の顔を浮かべて、じわりと視界が滲む。
いけない、泣いてる場合じゃない。
今ならこの男はあたしにナイフを向けてない。
誰か、と心の中で強く祈った。
「ただいま戻りましたー」
緊張を打ち破ったのは入り口に現れた女性局員だった。
どうやら外回りをしていたらしい。なにやらずっしりと入った鞄をぶら下げたまま目を丸くしている。が、それは一瞬のことだった。
男が振り向くより先に局員が鞄を投げた。
驚いた男がナイフの柄を持った手で払いのけると、その間に局員が走り出して犯人の膝裏を蹴った。つま先でえぐり、パンプスの踵で踏み抜く。
ガクリ、と崩れる男の頭を組んだ手を振りかぶり、思い切り殴りつけた。
真上ではなく、フルフェイスのスクリーンの部分である。当然、首が後ろに曲がり、咽喉が露になった。振り下ろされた手刀は男の咽喉を叩き、ぐえ、と妙な声をあげて男は膝を付いた。多分、力が抜けたのだろう。
真宵クンが男の腕を振り解いて逃げている。
局員がそのまま男を後ろ手に固める。肩から捻っているのか腕は伸ばされたままだ。そのまま体重を掛けられ、ゴキッと嫌な音が鳴った。
「スミマセンが手伝ってもらってもいいですか?」
私に声を掛けられたのだと知り、呆然とした意識を取り戻して男を押さえ込む。バタバタと戻ってきた局長らしき男性から紐を受け取った局員は床に伸びている男両手を適当に縛り上げた。
身動きできない男に圧し掛かるように押さえつけて私は真宵クンを探す。どうやら無事のようだ。怪我もないらしい。良かった、と思うと同時に刺された腕の痛みを思い出した。今日はもう仕事にならんな、と私は一人言ちる。
局員は局内に指示を飛ばしていた。手際良く、局内は平常を取り戻している。
ようやく外でサイレンの音が聞こえ始め、やっと警察が到着したか、と私はホッとした。
あのあと現着の警官は状況に多少目を丸くしていたが、私が検事だと名乗ると畏まって指示を仰いできた。とりあえず私は犯人の拘束と、止血用の包帯を依頼する。気付かなかったが、かなり出血しているようだ。刃が刺さったままの方がよかろう、と思い抜かなかった。
真宵クンは怪我の状態を心配していたが、まあ神経に触れている様子は無いから大丈夫だろうと答えておいた。
「助かりました」
声を掛けられて驚くと、先程の局員が深々と頭を下げている。
「いや、それはこちらの台詞だ。犯人逮捕のご協力感謝する」
「いえ怪我をさせてしまったのはこちらの不手際です。私がもう少し早く帰ってこれば良かったのですが」
私は首を横に振って否定した。あの状況での彼女の判断は実に的確だった。犯人は捕らえることが出来、真宵クンも無事に救出。私が手を出さなくても同じ結果は出せただろう。
私がそう言うと、お世辞は結構ですよ、とようやく笑った。
郵便局は現場検証ということで1日は使えないだろう。
私はパトカーに乗り込むと、真宵クンも一緒に乗り込んできた。
「真宵クン」
「このまま帰ったらあたしがなるほど君に怒られちゃいますから」
とりあえず病院までは一緒に行きますよ、と彼女は笑った。
私はフッと笑い、仕方ないなと呟いた。
怪我はやはりたいしたことは無かったが、それでも1ヶ月は安静にしてくださいと医者に言われた。
職場の同僚も怪我をしてるんじゃ仕方ない、ということでこれまで溜まっていた休みを消化することになった。幸い、抱えてる案件も簡単なものばかりで引継も簡単に出来た。
しかし、久しぶりの長期休暇に私はどうしようかと頭を悩ませていた。
真宵クンは『ミツルギ検事は働きすぎですよ』と怒ったが、そもそも暇なのが耐え切れない性分だから仕方が無い。
翌日早々に成歩堂から電話があって、どうして無茶するんだと散々に怒られた。声を聞くのも久しぶりだったので何だかくすぐったい気持ちになった。
成歩堂は、どうせ家事も出来ないだろう、と言って毎日部屋に押しかけてくる。怪我をしたのは利き腕では無いし、そんなに困るようなことはなかったが、その気持ちだけは有難かった。
今日も今日とて事務所を早めに閉めて、私の部屋にやってくる。
エプロン姿で台所に立っている姿を見ると、あんまりに不似合いでつい苦笑する。成歩堂は食事の用意をしながら、ブツブツ文句を言ってきた。
「もう僕の居ないところでそんなことするなよ」
「無理だ」
「無理とか言わないの」
ああ心配してくれてるのだな、と私は嬉しく思う。
「すまないな」
そう言うと、もの凄い表情で振り向いた成歩堂と目が合って、私は思わず笑ってしまった。
※ナルミツのつもりで書いたら筆が滑ったよ。ということで普通の友人同士でもありな文章に。穿った見方でもアリです。そこから展開するのも更にアリかもしれません。
19:46 2007/06/13