「3番イトノコ、脱ぐッスっ」
やんややんやと盛り上がる集団を脇目に御剣は静かにアルコールを飲んでいた。
下らない、全くもって下らない呑み会のテンションはこれ以上ないほどにピークに達しており、既に矢張やイトノコは上半身裸のまま、水だか酒だか分からないような代物を呑んでいる。
真宵クンや春美クンたちを先に帰したとは言え、まだこの場には大沢木女史や霧緒嬢もいるのだからそんな有様では駄目だろうとつくづく思う。
はあ、と溜息を吐きながら、紙コップに満たされた酒を呷るとアルコールのいやらしい後味だけが下に纏わりついて眉を顰めた。
「あの、大丈夫ですか?」
「ム、心配ない」
見かねた荷星氏にそう答え、手元にあるナッツを取って食べる。
さっさと呑んでつぶれてしまったほうが幸せなのかもしれない、と目の端に映る星影弁護士を見て、そう思った。
忘年会をしよう、と言い出したのは誰だったか忘れたが、苦虫を潰したような成歩堂の顔が思い出されるから、確か矢張だったのだろうと思う。
「だってよ、成歩堂ばっかりズルイだろうがよ。一人でキレイなオネエチャンを独占しやがって。あのコ、アンタの何なのさッ」
「依頼人だって言ってるだろッ」
まあ、こんな感じのやり取りから何時の間にかセッティングされて、みんなの予定まで入れて実行されたわけだ。ある意味その機動力に感心しないでもないが、矢張なので矢張なのだろうという結論に辿りつき、不安が胸を離れない。
すなわち、それは。
「王様ゲームッ、イエーーーー一イッ」
「あら、私が王様みたいです」
「おおっと、キリオさん、御指名ヨロシクッ」
「ええと、4番が2番とポッキーゲーム、でどうでしょう?」
「おー、意外と大胆じゃん。って、オレ3番だし」
「じじじじじ、自分ッ、2番ッス」
「おー、ってこのナツミ様が4番かい。ネエチャン、後で覚えときィ」
「ぎゃははは、やれやれー」
終始この有様だから如何ともしようがない。
酔っ払いに収拾付けろと言ったところで聞いてないのはあからさまで、もはやココまで酔いどれが増えてしまった現状としては静観しているより他に無かった。
「おいー、御剣ー。オマエも呑めよー」
「ム、呑んでいるぞ」
「だったらもっと楽しめよ。なははははは」
顔を真っ赤にしながら、矢張がふらふらと室内を歩いている。片手に酒瓶を持ってるところを見ると、ああやって次々に酔い潰していってるのだろうということが簡単に想像できた。
「次行くぞー、次ー」
いつの間にか目の前に放られてる割り箸には『6』という数字が振られている。どうやら先ほど矢張が置いていったものらしい。いつの間にか座の中央に追いやられた荷星氏が申し訳なさそうに王様の宣言をしている。どうやらあのゲームはまだ続いているようだ。今度は霧緒嬢と矢張がケーキを互いに食べさせあってるようだ。というよりも矢張が一方的にデレデレと食べさせてもらってるに過ぎない。それでも何故か周りは盛り上がっているようだった。
「ああいうもので騒げる神経が分からんな」
「まあ仕方ないよ、オマエだし」
独り言ちたつもりが返事があって驚くと、横に成歩堂が座っていた。ビール缶を片手にぼんやりとしているところを見ると、それなりに酔ってはいるらしい。
「呑んでるようだな」
「まあね」
ふわあ、と大口を開けて欠伸をしている。ふと腕時計で時間を確認すると既に日付は超えており、深夜とも呼べる時間であることが分かる。
「まあ、矢張だし」
「そうなのだがな」
「それでいいじゃん」
成歩堂はそう呟いて、空き缶をぐしゃりと潰した。
「成歩堂」
「ん――」
「眠いのなら寝たら良かろう」
「この状態で寝れるかよ」
死屍累々とまではいかないが、いつの間にか大沢木女史の声が聞こえない。仰向けに豪快に転がって鼾をかいている。また、糸鋸刑事も酒瓶を片手にうつらうつらと船を漕いでいた。星影弁護士は既に気絶したように転がっている。荷星氏は恐縮ですが、と謝りながら帰ってしまい、霧緒嬢も帰りますね、と言って本当に帰ってしまった。矢張は送っていくと行ってたから、まあ暫くは戻ってこない。
「ったく、人の事務所で騒ぐだけ騒いでそのままかよ」
「ム、手伝うか?」
「いいよ、オマエ結構足にキてるだろ?」
立ち上がろうとすると肩を押されて、ソファに押し付けられた。
「こーゆーのは所長の仕事、だって真宵ちゃんが言ってたろ」
「しかしキミ一人では片付かないだろう?」
「まあどうせ今日で仕事納めだったし。あ、そう言えばオマエ明日仕事?」
「仕事であればこの時間まで居るものか」
「そういうヤツだよね、オマエ」
成歩堂はクスクス笑いながら、寝転がる3人に毛布を掛けている。
「事務所にそんなものがあったのか?」
「そりゃあ、まあ、泊り込みとかするからね」
「全く忙しそうで何よりだな、若手実力派弁護士、だったか」
「それって褒め言葉?」
「そう聞こえるならキミの耳が腐ってるのだよ、成歩堂」
「そうかもなあ」
まあ、とぼやきながら成歩堂が空き缶を袋に投げ入れた。
「褒め言葉の方がありがたいけどね」
「ぬかせ、シロウト弁護士」
苦笑しながら掃除を続ける男に呆れた溜息を投げると、今度は声をあげて笑われる。失礼な男だ。
「だったらもっと精進したまえ」
「はいはい、天才検事様のおっしゃるとおりですよ」
「それだからキサマはいつまでもヒヨッコなのだ」
こちらに伸ばされた手に空いた紙コップを渡すと、ありがとうと言われた。
「ヒヨッコだろうと何だろうとオマエの傍に居れるからいいんだよ」
「ぬ」
「もともとオマエのために弁護士になったんだし」
「馬鹿馬鹿しいことだ」
「そうでもないよ」
口を縛った袋を入り口に置いて、成歩堂がこちらを見やった。
「そう言えば、僕、オマエからまだ答えてもらってないよな?」
「聞きたいのか?」
「まあ、別に急いで答えてもらってもアレだしさ」
「なら放っときたまえ」
「でもまあ、今ならオマエに聞けそうな気がするし」
どうなのさ、と成歩堂が隣に座って問質してくる。じりじりと躄り寄る身体に何かしら危機感を覚え、思わず身体を引いた。
「どうなんだよ、御剣」
「どう、とはどういう事だ」
「惚けたフリは似合わないぞ」
グイ、と引き寄せられたかと思うと成歩堂の顔が急激に近づいてぶつかる直前で止まった。頬に触れる吐息がアルコール臭い。
「キサマ、酔ってるな」
「酔ってるよ」
「手を離せ」
「嫌だ」
「成歩堂ッ」
「声が大きいよ、御剣」
みんな起きちゃうじゃないか、と成歩堂が耳元で囁く。ハッと息を潜めると、成歩堂の手が頬に当てられて、首までするりと撫でた。
「御剣」
アルコールで溶けた視線が絡みついて離れない。殴れば離れることは分かっているのに、身体は何故か動かない。
「キス、してもいい?」
「嫌だ」
「そんな顔で言うなよ」
「キサマは酔うと男にキスをするような趣味があるのか?」
「冗談言うなよな」
「では止めたまえ」
成歩堂が笑って腰に手を回してくる。叩こうと挙げた手は空いた片手に掴まれた。
「僕は御剣とキスしたいんだよ」
「勝手なことを」
「うん、勝手だよ」
だから、と言って近づいてきた成歩堂から逃げるように顔を逸らす。
「キミは勝手だ」
「だからそう言ってるじゃないか」
「私の言葉も聞かない」
「酔っ払いだからね」
ふと成歩堂がテーブルに目をやった。御剣の前には放られたままの割り箸がまだ残っている。数字は変わらず『6』と書かれていた。
「ふうん、6番だったんだ」
「とっくに終わったことだ」
「まだ終わってないだろ」
クスクスと笑って、一本の割り箸を突きつけてきた。
「実はさっき、僕、王様だったんだよね。途中でお開きになっちゃったけど」
「何が言いたい」
「王様の言うことは聞かないとダメなんだよ、御剣」
カタン、と成歩堂が持っていた割り箸を投げ捨てる。
「6番が、王様にキスってどうかな?」
「馬鹿馬鹿しい、ゲームはとっくに」
「終わってるって?」
蛍光灯の下でも光を帯びない眸がジッと見据える。掴まれたままの腕が痛い。抱え込まれた腰を捩ると益々力を込めて引き寄せられた。
「ゴメン、もう我慢出来ない」
何を、と紡ごうとした口は成歩堂の唇で塞がれる。沸々と溢れる怒りと唇が荒れていると冷静に働く思考が綯交ぜに絡み合い、自分でもどうしたらいいのか分からなくなる。
半開きの口に成歩堂の舌が進入し、呆然となった御剣の舌を絡め取った。歯列をなぞられ、身を震わすと角度を変えられて奥深く貪られる。成歩堂の手がゆっくりと動いて背中を撫でた。ズボンからシャツを引きずり出して、するりと肌とシャツの間に手を滑り込ませてくる。熱を帯びた手の平が背筋を辿り、筋肉のひとつひとつを確かめるように撫で上げた。
息継ぎのためか成歩堂が僅かに唇を離す。熱の上がった息を吐きながら、ぼんやりとした思考に更に膜が掛かっていく。その様子を見た成歩堂が笑いながら、もう一度唇を塞いだ。
シャツの下を図々しく撫でていた手がボタンに掛かり、ひとつずつ器用に外していく。シュル、とフリルタイを外されて、露になった首元に唇を押し付けられた。かさついた唇が触れ、吸い上げ、熱い舌でペロリと舐められると堪えきれずに声が洩れた。
「―――は」
「意外と、やらしいよね」
外気に晒された乳首をコリコリと押しつぶしながら、成歩堂が囁く。ピチャピチャと舐める音が静かな室内に響き、ジワジワと内奥から溢れる熱に戸惑いながら流されまいと必死で堪える。
「こんなに感じてさ、男に抱かれたことでもあるの?」
嘲るような言葉にようやく我に返って、視界が元に戻った。ニヤニヤと笑う顔に腹が立って、鳩尾を蹴り上げてひるんだ隙に立ち上がった。
「キサマッ」
予想外に上ずった声が己の咽喉から飛び出して、小さく舌打ちをしながら成歩堂を睨む。押された勢いなのかソファの肘掛けに凭れたまま、成歩堂はパチパチと瞼を上下して小さく笑った。
「キサマ、正気か!?」
「酔っ払いだよ」
「フザケるな」
「じゃあ何て答えれば気が済むんだ?」
真っ直ぐ向けられた視線に込められた非難の色が罪悪感さえ刺激する。沈黙がやけにもどかしく、苛立つ神経を更に揺さぶった。
「帰るッ」
「待てって」
立ち上がって踵を返したところで袖を引かれ、バランスを崩す。ぐらりと揺れて成歩堂の身体にぶつかり、そのまま抱きつかれた。
「僕はまだ答えてもらってない」
「いい加減に――」
「御剣」
成歩堂の黒い瞳に射抜かれる。
「嫌なら嫌って言えよ。それだけで済むことだろ」
「ム」
「嫌じゃないんだろ」
成歩堂の言葉に、果たしてそうなのかもしれない、と一瞬考えが過ぎり、慌ててソレを否定する。
「冗談もほどほどにしたまえ。この酔っ払いが」
「うん、そうかもしれないね」
パッと成歩堂は両手を広げて、御剣を解放した。
「でも、僕の言葉に嘘は無いよ」
「その言葉が嘘なのだろう?」
言葉を吐き捨てると、傷ついたような顔で成歩堂が力なく笑った。
「そっか、そうだよね。うん。ゴメン。全部嘘だよ。嘘にしておけよ。オマエにとってその方が楽ならそういうことにしておけよ」
ああ疲れた、とぽつりと呟いて成歩堂がソファに凭れた。
居た堪れない空気に軽口すら叩けずに押し黙ってしまう。
ううん、と糸鋸刑事が唸りながら寝返りを打ち、その声にハッとする。
「御剣、帰るんだろ?」
送ってくよ、と成歩堂が言って、ソファから立ち上がる。
今までのことなど何もなかったかのような振る舞いに戸惑いながらも、その言葉は丁重に断った。
「キミも休みたまえ。子供じゃあるまいし、私は一人で帰れる」
「いいんだ。送らせてくれよ」
「酔っ払った挙句、階段から落ちて怪我でもされたらこの事務所はどうなるのだ」
「その心配かよ」
苦笑しながら、成歩堂は足を止めて手を振った。
「じゃあ、また、な」
「そう、だな」
お互いのぎこちない挨拶に胸が痛みながらも、コートを羽織りなおして事務所の扉を開けて外に出る。ほんの少し振り返って見ると、扉の隙間越しに成歩堂が泣きそうな顔でこちらを見ていた。
※意外に長かったお話。最初のプロットらしきものでは単純に王様ゲームとか余興でなるほど君と御剣がキスをするだけの話だったという、一体何があったんだ的なアレやソレ。『6番、成歩堂。御剣にキスしますッ』という台詞が書きたかったんだけどなあ。ついでにベロチューされて腰をぬかす御剣が書きたかったんだけどなあ。馬鹿話でリサイクルするかどうかですね、ハイ。
7:06 2007/12/16