「綾里真宵、アレをどうにかなさい」 「あたしに言わないで下さいよ」 ぼんやりとお茶を啜りながら、あたしはこっそり溜息を吐く。 額に青筋を立てた冥さんが指したのはおおよそ予想通りの二人組。それ以外に無い。とっくに終業時間が来てるのにあたしが帰らない理由でもある。というか、帰れない。 「レイジはいつもココに来るとああなのかしら」 「まあ概ねそんな感じです」 「ふざけてるわね」 冥さんの声が震えてるのは多分耐え難いモノを見てしまった憤りなのだろうと思った。まあ、あたしだって正直この場から離れたいけど。帰りたいけど。 帰れない。所長があの様だから、帰れたもんじゃない。全く。 ああそういえばトノサマンの録画したやつまだ見てないや。2週分溜まってるんだよなあ。春美ちゃんが今週末遊びに来るって言ってたっけ。それまでには見ておきたいよなあ。あ、味噌が切れてるんだった。帰りに買っていかないと厳しいかな。今日の晩御飯何にしよう。何があったっけ。肉じゃがでも作ろうかな。そうすれば明日のお弁当にも詰めれるし。そうだ、そうしよう。でもあたしが作るとあんまり美味しく出来ないんだよね。何でかなあ。後でなるほど君にコツを聞いてみよう。っていうか、あたしが料理するって言った時のなるほど君の顔が凄く歪んだのはちょっと失礼だよね。あたしだって年頃のオンナのコなんだよ。料理ぐらいするってば。そりゃあ、下拵えとかちょっと苦手だけど。魚とか毎回焦がしちゃうけど。たまに味付け忘れちゃうけど。人参とか皮を剥き忘れちゃうけど。いやいやいや、それでもさ一応あたしも料理くらいするわけで。そうじゃないよ。今日のご飯のことなのになんであたし愚痴ってるんだろう。ま、いいや。味噌汁と肉じゃがとご飯だけで。里から野菜いっぱい送ってくれるのはいいんだけど、一人暮らしだから量多いんだよね。白菜なんか5個もいらないよ。1個で十分だってば。そうだ、御剣検事にあげればいいんだ。料理するって言ってたもんね。冥さんもいるかなあ。とりあえずなるほど君には明日持ってくるとして。他にも根菜類がいっぱいあったよなあ。それもどうにかしないと。 「聞いてるの? 綾里真宵」 「は、はい?」 マズい、声が裏返った。ちょっと自分の考えに浸りすぎたかな。 「とにかく私はこれ以上馬鹿の馬鹿らしい馬鹿げた所業を馬鹿馬鹿しく見ているつもりは無いの。どうにかなさい」 「ええーーッ。あたしがやるんですか?」 「当たり前でしょう。アナタ、ここの所員なんだから所長を御して然るべきよ」 「うう、そうなんですけどねえ」 邪魔すると後でなるほど君が怖いし。 ちらりと横目で見る限り、さっきと状況は変わっていない。というか、益々酷くなってるような気もするから正直見たくない。 「冥さん、やって下さいよー」 「私はあんな馬鹿の馬鹿みたいなことに馬鹿らしく付き合う義務はないわ」 「だってなるほど君が怒ると怖いんですよ?」 「あの男が怒るの?」 「見たことないんですか?」 「記憶には無いわね」 いいなあ、羨ましい。 でも確かになるほど君はおっそろしく気が長いというか、沸点が高いというか、淡白と言うか。ええとどちらかと言うと周りに興味が無いというか。ミツルギ検事だけと言うか。 そんな感じだから滅多に怒ることは無い。あたしもなるほど君が怒ってるのってミツルギ検事絡みだけだしね。って言うか、ミツルギ検事のこと以外で怒ったことあったっけ? 「多分、今アレを止めればなるほど君怒りますよ。しかもねちっこく」 そうなのだ。なるほど君は一度怒ると執念深い。後々までも引きずることになるから怒らせたくない。仕返しとかしてこないけど、言葉の端々に棘を籠めてくるから意外と精神的にダメージが大きい。ミツルギ検事もなるほど君なんかに惚れられて本当に大変だよなあ、とあたしは少し同情してたりする。 「・・・・・・アナタも大変ね、綾里真宵」 冥さんがしみじみと言う。 声音には十分な同情が湛えられていたけれどあたしは気にしない。むしろ気にしてはいけない。たとえココがお姉ちゃんの事務所でイチャついてても。本人に自覚症状がなくても。所長がホモでも。相手が天然でも。バカップルでも。 「慣れてますから」 冷めてしまったほうじ茶を啜って、今日も帰れないなあ、とあたしは小さく溜息を吐いた。
11:18 2007/11/10
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