「やあ、オドロキ君。遅いお帰りだね」
「頼むから俺にいろいろ押し付けないでください、成歩堂さん」
俺は両手にぶら下げたビニール袋を床に降ろした。
食材だけならまだしも、洗剤やらゴミ袋やら日用品まで頼まれたせいで殺人的な重さになっている。
なんだか痺れると思った手のひらはずっとビニール袋を支えていたせいで真っ白になっていた。
「うん悪かったね。ご苦労さん」
成歩堂さんは相変わらずの眠そうな目つきで笑っている。
感情の起伏がまったく読めない。
本当にありがたいと思ってるのかこの人は、などと考えてると成歩堂さんがぽんと手のひらを叩いてこう言った。
「お詫びに今日の夕食は僕が腕を振るってあげよう」
「はあ」
腕まくりをしながら床に置かれた食材を軽々と運ぶ成歩堂さんを見て、俺も鍛えなきゃなあとしみじみ思った。
「たっだいま〜〜」
バタン、と音がしてみぬきちゃんが飛び込んでくる。
おかえり、と俺は言ってみぬきちゃんが投げた鞄をキャッチした。
「あれ今日の夕ご飯はもしかして、パパ?」
「みたいだね」
やったー、とみぬきちゃんが喜んでいる。あんまり成歩堂さんの手料理というものを食べたことが無いが、そんなに美味しいのだろうかと俺は疑問に思った。
そんな表情を見たみぬきちゃんが人差し指を揺らしながら言う。
「帰っちゃダメですよ、オドロキさん。案外パパ、料理上手いんだから」
カレーとかカレーとかカレーとか、と続けるみぬきちゃんに俺は思わず突っ込んだ。
「いやいやいや、それはなにか違うと思うんだけど」
「えー、そうかなあ」
「こらこら、パパの腕を疑うのかい?みぬき」
いつの間にか台所から出てきた成歩堂さんがグレープジュースを片手に苦笑している。
篭ってから早1時間。一体何を作ってたんだろうか。
「あー、パパ。グレープジュースは禁止だって言ったじゃない」
「ははは、ゴメンゴメン。でもまあ今日の夕食当番で許してくれないかな」
ぷー、と頬を膨らませて怒るみぬきちゃんを宥めるように、成歩堂さんが笑った。
「ところでオドロキ君も食べてくよね」
「……そのつもりで待ってたんですけど」
げんなりとした表情で俺は答えた。
この人のペースは何となく疲れる。
「じゃあちょっと早いかもしれないけど、ご飯にしよっか」
「みぬき、お腹ぺこぺこだよー」
「うん、ちょっと多めに作ってるからお代わりもOKだ。みぬき」
「へへー、パパ大好きー」
ぴょんぴょん跳ね回るみぬきちゃんの頭をぽんぽん叩きながらキッチンへ戻る成歩堂さん。
相変わらず親子には全く見えない光景である。
「オドロキ君も止まってないで、早くおいでよ」
「あ、はい」
成歩堂さんに急かされて、俺は小走りでキッチンへ向かった。
夕食はみぬきちゃんの言うとおりカレーだった。
しかし。
「なんですか、コレ」
皿にドン、と肉の塊が乗っており、その上にカレーが掛かっている。カレーも欧州風なのかドミグラスソースが使われていて、具は少ない。パッと見、完全にステーキのように見えた。当然ご飯は申し訳程度に盛られている程度に過ぎない。
「何って、カレーだけど」
「みぬき、パパのカレー大好き〜〜」
えへへ、と笑いながらみぬきちゃんが肉を切りながら早速食べ始めている。
成歩堂さんも付け合せのサラダをつつきながら、早く食べなよと笑った。
「じゃあ、いただきます」
「うん、いい返事だ」
手前に置いてあるサラダは案外キレイに盛られている。見た目に合わず几帳面なんだろうかと俺は思いながらむしゃむしゃ食べ始めた。
サラダのドレッシングも玉ねぎのすりおろしにビネガーや香辛料を加えたもので本格的だ。
そんなの冷蔵庫にあったかな、と思っていると目の前で成歩堂さんがニコニコ笑っている。
……手作りか、そりゃ時間もかかるよな。
「ほらほらオドロキさん、カレーがメインなんですからカレーを食べないことには始まらないですよ」
みぬきちゃんがこちらを見て、笑っている。
俺も思わず笑い返して、分厚い肉の塊に挑むことにした。
「うー、もう食えない」
「あーオドロキさん。食べてすぐ寝ると牛になっちゃうんですよ」
見た目以上に味が旨かったカレーを貪るように3杯平らげた俺は腹を抱えて、ソファで唸っていた。
みぬきちゃんが腰に手を当てて、怒っている。
ちらりと見た成歩堂さんは皿やら鍋やらを片付けて、早速洗っていた。結構マメな人だ。
「でも久しぶりにカレーなんか食べた気がするよ、俺」
「えー、そうですか。みぬきは結構作ったり、作ってもらったりで食べてますね」
「でも旨かったなー。カレーなんてレトルトのイメージが強くてさ」
「それはカレーに対する冒涜ですよ。あんなに美味しいのに」
みぬきちゃんがカレーに対してこんな思い入れがあるのはあのカレーだからに違いない。
まあ、普通のカレーも確かにおいしいんだけど、アレはレベルが違う。
「パパのこと、見直したでしょ。オドロキさん」
「まあね。正直、どんなものが出るかと思って冷や冷やしてた」
「それは酷いなあ」
のんびりとした口調で成歩堂さんが会話に割って入る。
片手にマグカップを持ちながら、よいしょとソファに座り込んだ。
「まあ、なかなか一人暮らしじゃカレーなんか作らないからね。美味しかっただろ?」
「――美味かったです、本気で」
良かったね、と笑いながら成歩堂さんはコーヒーを飲んでいる。
「でも食べすぎは良くないな。あの量を3杯いけるのは君と、あとみぬきくらいなもんだ」
「ひっどーい、みぬきそんなに食べてないもん」
「前に食べたことがあったじゃないか。あの時は流石にパパもビックリした」
みぬきちゃんはえへへ、と笑って誤魔化す。
どうやら事実らしい。
「で、オドロキ君。まだ動くのはムリかな」
「ええと、すみません」
「いや、謝るようなことじゃないさ。そうだ、今日はココに泊まってくかい?」
「パパ、ナイスアイディアだね」
俺は慌てて身体を起こして、姿勢を正す。
圧迫された胃が気持ち悪いがそうは言ってられない。
「いえ、そこまで迷惑掛けるわけにはいかないですよ」
「みぬき、迷惑かい?」
「全〜然ッ」
「じゃあ決定かな」
成歩堂さんもみぬきちゃんもそれは穏やかに笑って。
俺はちょっとだけ気恥ずかしさで赤面したのだった。
後日談。
そのあとも何度か俺は成歩堂さんの手料理のご相伴に預かることがあったのだが、種類は違えど何故だか毎回カレーだった。というか、カレーしか出てこない。
理由を聞いたら「だって美味しいだろ」と言われた。
解せない、どうにも解せない理由ではあるが。
確かにカレー自体は美味しかった。
インドカレーにスープカレー、ハヤシ風カレーに海鮮カレー。
なんでこんなにカレーばっかりなんだと俺は心の中で絶叫しつつ、今日もまたカレーを食べていたのである。
※パパは男の料理しか作れません。作りません。
14:34 2007/06/13