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※ちょっとしたお話

【091:柔らかな雨】22:08 2007/11/07

「あ、御剣。そう言えばあの件どうなったの?」
成歩堂はハタと思い出したかのように顔を上げて、そう言った。まあ大方その読みは間違っていない、と私の脳は訴えている。が、どうにも稚気じみたその言動に溜息を吐きながら、私は痛む頭を押さえた。

「・・・・・・今更ソレを言うかキサマ」
「ゴメンゴメン。最近ちょっと立て込んでて忘れてたんだよ。オマエだって僕に教えてくれなかったじゃないか」
「ムぅ、ソレはすまない。私の方は上に休暇を取るよう言われているからどうにかなるが、キミはどうだろうか?」
「うーん、この仕事が終わればどうにかなるかな」
「ふむ、ソレは重畳だ」
ふとカレンダーを見るとクリスマスから年始まで矢印が引かれており、成歩堂らしい雑な筆跡で『休み!』と書かれている。どうやら本気で忘れていたわけではないらしい。

「実家とか帰らないの?」
「帰ったところでどうにもならん」
母は母で新しい家庭を築いているし、祖父母はとうに他界している。だから帰ったところで複雑な顔を向けられるだけだと知っているのだが、そこまで成歩堂に伝える必要は無い。
「キミこそ正月くらい実家に帰らないのか?」
「だって帰ったら釣書の山だよ。絶対帰るもんか」
「キミらしいな」
小さく笑うと成歩堂が不貞腐れた表情で、私を睨んだ。
「何だよ、御剣は僕がお見合いしても良いって言うのか?」
「フッ、それも一興ではないか」
「冗談ッ」
カタカタとパソコンのキーボードを叩いているのは、どうやら書類の文書を写しているようだ。成歩堂の字は本人曰く、味のある字らしいが私から見ればただの汚い字に過ぎない。ソレは本人も重々自覚しているようで提出書類などは全てパソコンで印字しているようだった。

「でも、この際実家に帰ってオマエのこと紹介してもいいかもね」
さらりと吐かれた言葉に私は思わず紅茶を吹き出しそうになる。相変わらず人を脅かすのが得意な男だ。
「冗談は止したまえ、成歩堂」
「冗談じゃないよ」
文を打ち終えたらしく、キーを強く叩く音がした。ギイ、とイスが軋む音がした。大きく伸びをした後、成歩堂は立ち上がって私の居る応接セットのソファに深く腰を下ろした。
「だってそうすれば少なくとも僕は見合い写真を押し付けられることはないし、親相手にコソコソすることもないし」
「しかしキミはそれでいいのか?」
「別にいいよ。って言うか、僕は公言したって構わないんだけどさ」
ローテーブルに置かれた飴玉の包装紙をガサガサと取りながら成歩堂がぼやく。
「でもそうしちゃうとオマエが困るだろう?」
ぐしゃぐしゃの包装紙がテーブルの上に放られて、軽く跳ねた。
「だからさ、せめて親くらいは逆に味方につけておいた方が楽―――って御剣?」
コロコロと口内で飴玉を転がしながら、黒目がちの目がこちらを見据えた。

「なんでオマエ泣いてるんだよ」
「ム」
成歩堂の手が伸びて、私の頬を撫でる。眦に指がソッと当てられて、涙を拭うように動いた。濡れた指先がキラキラと蛍光灯の光を反射している。
「嫌なら止めるよ?」
「いや、そうではない」
「じゃあどういうこと?」
「ウム、まさかキミがそこまで考えているとは思わなかったのでな」
私はこんなに幸福で良いのだろうかと伝えると、成歩堂が目を更に見開いてこちらをまじまじと見た。何か言いたそうに口を少し開けて止まり、結局そのまま黙り込んだ。

「ム。不満そうだな」
「え、いやいやいやそんなことないよ」
「では何故キミはそんな態度なのだ」
「いやほらなんて言うかさ」
頬を撫でていた手がするりと首に回り、グイッと引き寄せられる。私はバランスを崩して成歩堂の胸元に飛び込む形となった。そのままギュッと息が詰まるほど強い力で抱きしめられる。
「ゴメン、すっごい嬉しい」
半ば呆気に取られたまま、降り注ぐ口付けを茫洋と甘受する。チュ、チュ、と触れるだけの唇が所構わず降りてくる。段々エスカレートする動きに私は慌ててその頭を押さえた。
「成歩堂、何を――」
抗議の言葉は緩みきった唇に塞がれる。成歩堂が私を押し倒すように圧し掛かり、力の抜けた身体はいとも簡単にソファに崩れた。私は顔を顰めて成歩堂を見上げる。

「嬉しくて堪んない」
「何をそんなに喜ぶことがあると言うのだ」
うっとりと呟く成歩堂に問質すと、パチパチと瞼を開閉させてそれから爆笑した。ゲラゲラと笑い続ける成歩堂を小突いて、私は不機嫌を露なまま肘を着いて上半身を起こす。
「何も笑うことはあるまい」
「ゴメンゴメン、でもさ御剣は僕と居ることが幸せだって思ってるんでしょ?」
「ム」
「それを喜ぶなって方が酷じゃない?」
ムウ、と唸ると成歩堂が微笑んで私の眉間に口付けを落とした。上機嫌に頬は緩んで、眦も下がって、口元は上がりっぱなしで。柔らかい眼差しが私を包み、眦に、頬に、そしてもう一度唇に。触れるだけの口付けをする。熱い吐息が口内に洩れて、苦しくて呻くと少しだけ離れてクスクス笑う。
肩口に顎を預けながら、もう一度ぎゅっと成歩堂が抱きしめる。

「好きだよ」

優しい声音で綴られるその言葉はまるで柔らかい雨のように。
耳朶を掠り、内耳を廻り、じわじわと私の心に滲みて、ゆっくりと満たす。
私も同じように成歩堂の肩へ顔を埋めて、小さな声で好きだと告げた。


※初心に戻ろう、ということで基本的なナルミツ。相思相愛な感じで。拙宅の御剣さんはあまりなるほど君に好きって言いません。なるほど君はムキになって言わせようとしますが絶対言いません。でもこういう時にポロッと言ってくれたりするのでなるほど君は幸せです。些細な幸せです。些細過ぎるとか言っちゃいけません。