【091:カクゴ】3:03 2007/08/05
くるしい。いたい。ここはどこ?
深と広がる暗闇にあたしは愕然とする。
くるしい。いたい。どうしてこんなところにいるの?
段々と目が慣れて、微かに揺れる蝋燭が見えた。
くるしい。いたい。あなた、だれ?
風の囁きのような声が聞こえてくる。弱弱しく禍々しく、凍てつくような声音。
あたしはどうやら地面に座っているようだった。岩のような壁面に凭れながら、寝ていたらしい。近くに放られた数珠をみて、あたしは漸く思い出した。
お母さんの事件が終わって、あたしとはみちゃんは倉院の里に戻った。
修行場の皆や近所のおばさんたちはとても心配してくれたけど、当主不在のまま倉院流霊媒道を放置するわけにも行かず、二十歳の誕生日にあたしは正式に当主の座に就いた。
はみちゃんの嬉しそうな顔の反面、あたしは逆に罪悪感でいっぱいだった。
本当ならあたしなんかよりはみちゃんの方が霊力的にも血筋的にも当主として相応しい。何だかんだ言って、はみちゃんのお母さん――キミコおば様を犯罪者にしてしまったのはあたしが原因なのだ。それはどう言いつくろったところで覆せるようなことじゃない。
それに、半人前のあたしなんかがとても継げるものじゃない。
あたしは修業のやり直しで霊力をつけるために葉桜院のウルトラコースに申し込んだ。ビキニさんは相変わらずの笑顔で、それでも複雑な表情で、あたしを出迎えてくれた。どうだいあやめは元気だったかい、と聞かれたときは少しドギマギしながら、元気そうでしたよなるほど君もたまに面会に行ってるみたいですから、と答えた。
ビキニさんにウルトラコースでお願いしますと言うと、眉を顰められた。あんたアレはオバサンの冗談で作ったコースだよ下手したら命落とすかもしれないんだよと止められる。あたしは、それでもいいんですと言うかそのくらいやらないと修行になりませんからと笑って説き伏せた。
何も気負うことは無いなんて皆は軽く言うけれど、このくらいは背負わせてくれたって構わないと思う。
結局、渋りながらもウルトラコースの準備を始めるビキニさんにごめんなさいと心の中で謝りながら、あたしは修行用の衣装に着替えた。
そこは吾童川の源流近くにある洞窟だった。
ビキニさん曰く、一種の霊穴らしくそこでは事故が絶えないらしい。
あんた生きて帰るんだよ、とビキニさんが真剣な顔つきで送り出すのを見て、ああそうかそのくらいの覚悟が必要なんだな、と改めて自覚し、身震いをした。
洞窟の中は暗くて、よく見えない。
一応、蝋燭を灯しているものの、やっぱり電気で慣れてる身としては心もとなく感じてしまう。ぴちゃん、と水の跳ねる音がして立ち止まった。よくよくみると天井にはツララのように岩が下がっている。きっと鍾乳窟なのだとあたしは勝手に納得して、先に進むことにした。
修行用の場所は大体入り口から歩いて15分程度の場所だった。
それでも光は全く及ばずに暗闇を侍らせて、大きな勾玉が佇んでいる。
蝋燭の光に当たって、勾玉の中の光が揺らいだ。
蝋燭を少し遠めに置いて、あたしは瞑想を始めた。
ウルトラコースには付き添う人は居ない。
持ってこれる蝋燭も限られている。
期限は特に設けられていないけど、最低3日は居なければならないというものだと言っていた。
大きく息を吸う。埃と淀んだ水の匂いが鼻についた。
脇には水と簡単な食料があるけれど、それだっていつまで持つか分からない。
つまり、このウルトラコースと言うのは飢えと孤独と暗闇の中でひたすらに瞑想を続けるという単純と言えば単純な修行だったりする。
ひやり、と微風が首を撫でて通り過ぎ、鳥肌を抑えるのに苦労した。
それでも人間にとってなにが一番辛いものかと言うと、やっぱりその3点なわけで。だからこそビキニさんは『冗談で』作ったと言ったのだろうと思った。
夜も昼も分からない。そんな暗闇に取り残されている。
暗闇の中に潜むのはきっと人の意識そのものなのだろう。
あたしの中の幻覚がふらりふらりと現れては消えていく。見知った人、親しかった人、嫌いだった人、それに、懐かしい人。次々に声を掛けられて、思わず返事をしてしまいそうになる。けれどそれをどうにか押し止めて、あたしはひたすら瞑想する。幽霊は居ないなんて皆バカにしたりするけれど、すぐ傍にいるものなんだと知っている。隣に立っていても見えないから信じない。信じないから希薄になる。希薄になれば、いずれは消える。
想う人が居て、初めて存在できるのが幽霊だというのなら。
ソレは恋にも似た存在だよね、とあたしは思った。
去年みたいに真冬じゃないから凍死の可能性は無い。
それでも寒気を感じるのは後ろに坐ます巨大な勾玉のせいなのだろうと思った。ひとつの鉱物の塊はひんやりと冷気を伴って、洞窟全体を鎮めている。変に荒御霊が居ないのはそのお蔭なのだと少し感謝した。
僅かに洞窟内が明るくなって、フッと暗闇が落ちる。
ああ蝋燭が消えたんだな、と思ったけれど次の蝋燭は無かった。灯りで見えにくかった白い塊がゆらりゆらりとあたしの周りを取り巻いている。幽霊なんて暗闇以外で見えたら狂ってしまう、なんて昔お姉ちゃんが言ってたっけ。あたしも全く同じ意見だったから何とも思わなかった。
はみちゃんはどうなのだろう。あんなに霊力が強ければ、昼日中でさえ見えてしまうことがあるのではないだろうか。例えば事故現場で呆然とする自覚してない地縛霊とか、例えば親しい人の隣に佇む怨霊だとか。そんなものが簡単に見えるわけも無いけれど、それが見えてしまうのならどうなのだろう。
お姉ちゃんも霊力は高かった。けれどソレを切り捨ててまで弁護士になったのは、どうしてだろう。
聞いてみたかったけれど、聞きだすのは怖かった。
ゆらりゆらりと白いモノは囲むばかりで動く気配も無い。きっと様子を窺ってるのだと思う。強すぎる力は身を滅ぼすのだと人はよく言う。それなのに欲するのは強い力だ。ムジュンしてるのに気付かない。
なるほど君は、大切な人だけ守る力があればいいよ、と言った。でもそれだけじゃ足りなくなってくるんだろうね、と寂しそうに笑った。あたしはその顔を見て、そんなことないよ、と思わず叫んでいた。
なるほど君の言いたいことはスゴク分かる。大切な人なんて一人とは限らない。いつの間にか段々と増える大切な人スベテを守りたくなってしまう。そんなこと一人で出来るわけ無いと分かっていても、ソレを実現させるだけの力を求めてしまう。そして目的と手段が入れ替わって、力だけを欲してしまうのだ。
僕は真宵ちゃんも大切だけどもっと守らないといけない人が居るから。なるほど君はそう言って、ごめんねと謝った。あたしは少し寂しく思ったけど、仕方ないことだと知っていたから頷いた。分かってる。あたしだってもう子供じゃない。
『発想を逆転させるの』
お姉ちゃんの言葉を思い出す。
そうだ。あたしが守るべきなのは倉院流なんかじゃない。もちろん、倉院の里も綾里家も大事なものだけど、それだけじゃない。もっともっと大事なものがあるはずだ。お母さんもお姉ちゃんもおば様も、居なくなってしまった今だから。
「あたしがはみちゃん守らなくて、誰が守るって言うのよ」
おば様は傍に居ない。なるほど君だって守るべき人が居る。だから、あたしが守るべきなのだ。いつまでも守られて安穏としてる立場じゃない。
本当はずっとずっと守られているべきだったはみちゃんはこの数年で色々と見てしまった。知ってしまった。それでも耐えて、笑って、逆にあたしを励ましてる。守られてたのは、あたしの方だ。そのままじゃいけない。あたしに足りなかったのは力なんかじゃない。
家元としての、覚悟。
お姉ちゃんだって弁護士になるために覚悟をしたはずだ。お母さんだって一緒。おば様も、はみちゃんも、なるほど君も、ミツルギ検事も皆持っていたのに。
「うん、あたしだけ情けなかったよね」
ゴメン、と小さく謝ると白いモノがふわりと散った。後ろの勾玉があたしの悩みも吸い取ってくれたのか胸の中がスッキリとする。抱え込んでいたモノは背負わなければならない責任。
あたしはゆっくり顔を上げて、幾日か振りに洞窟の外へと歩き出した。
※真宵ちゃん修業話。ちょっとしんみり。『覚悟』というものについて。