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【065:クラッチ】8:07 2007/07/31
うわあ、と間抜けな声を出して僕は見事にすっ転んだ。
場所は駅の階段。それでも5、6段くらいは下に転げ落ちて背中やら肩やら強かに打った。周囲の人は電車に乗り込むのに必死で誰も見ようとしない。
冷たいなあ、と思いながら起き上がると真宵ちゃんがパタパタ走り寄ってきた。
「なるほど君、大丈夫?」
「うん、怪我は無いよ」
僕は手すりを掴んで立ち上がると右足に激痛が走った。どうやら捻挫してるようだ。
「ううん、歩けるかなあ」
「どうしたの?」
「いや、足捻ったみたいでさ」
「あたし、なるほど君担ぐなんて無理だよ」
「イヤイヤイヤ、歩くことは出来るから」
ぴょこん、とびっこを引きながら、僕は歩いてみせる。
とはいえ、痛いものは痛い。
とりあえずゆっくりと駅構内から改札を出て、入り口へと向かう。
湿気を伴った生温い空気にげんなりとしながら歩いていると、目の前に見慣れた姿を見つけた。
「あれ? イトノコさんどうしたんですか?」
「ああああッ、ア、ア、アンタ、ビックリするじゃないッスか」
「大声出さないでください。僕のほうがビックリしましたよ」
「イトノコ刑事さん、今日は一人なんですか?」
「アンタも居たッスか。いや、今日は御剣検事も一緒ッス」
「で、御剣は?」
「実は車で――」
クラクションが鳴り響いて、思わず振り向くと嫌味なほど真っ赤なスポーツカーに乗った御剣が居た。
「刑事、乗り―――成歩堂? それに真宵クンも」
ぷらぷらと僕が手を振ると、フム、と唸る。
ジッとこちらを見据えていたかと思うと、小さく溜息を吐いた。
「真宵クン」
「は、はい」
「そこのバカは怪我でもしているのだろうか」
「――え」
それはもう的確に現状を当てられたことに真宵ちゃんは驚いているようだ。
まあ、確かに僕もちょっと驚いたけど。
「足、捻ったんだよ」
「なるほど君、それはもうキレイに宙を舞ってたんですよ」
ソレはもうマックスみたいに、ってゆう。
そうだったのか。それはちょっと新鮮だ。気付かなかったけど。
「ソレは災難だったな。事務所までならば送ってやるぞ」
「え、良いんですか」
「構わん。どうせ今日は直帰の予定だ」
「そっか、悪い。じゃあ頼むよ」
「アンタらも御剣検事の車に乗れることを光栄に思うッスよ」
「刑事。キミはもう少し謙虚になりたまえ」
「うう、申し訳ねえッス。自分も財布さえ落とさなければ今頃電車で」
「ええっ、財布落としたんですか!?」
「そッス。花の給料日。今日こそは、今日こそはソーセージを腹いっぱい胸いっぱい食べられると自分はぁッ」
オイオイ泣き始めるイトノコさん。ううん、切実だ。
とりあえず咽び泣くイトノコさんを後部座席に叩き込むと、真宵ちゃんもひょい、と乗り込んだ。
「なるほど君、足痛いんでしょ。前でいいよ」
「あ、ありがとう」
「成歩堂。シートベルトは付けたまえ。検挙されるのは私だ」
「ゴメンゴメン、忘れてた」
カチリ、とシートベルトを締めて背もたれに体重を乗せた。
というか、車のシートってこんなのだっけ。なんだかやたら流線型なんですけど。
僕がそう言うと、御剣は口元だけで笑った。
キミは分かってない、と。
「シートは乗せ換えたのだよ。シートベルトもレース仕様にしてある」
そういえば前に乗せてもらったときから内装が変わってるような気がする。
特に運転席。何か余計なメーターが付いてるのは流石に気のせいじゃないだろう。
「ウム、そのくらいは分かるのだな」
正直分かりたくもないよ。
「タコメーターを取り付けてみたのだが、どうにもデザインが気に食わん。まあ近々取り替えるつもりなのだが、なかなか良いのが見当たらなくてな。仕方なくそのままにしてある」
それから、と続けられた言葉は最早僕には到底理解できないような単語が矢継ぎ早に繰り出される。コアな単語が車内を飛び交うが、誰一人として付いていけない。というか、イトノコさん寝ちゃってるよ。真宵ちゃんも子守唄を聞いたかのような空ろな目つきになっている。
「御剣」
「ム、なんだろうか。やはりキミもスポーツタイプならばやはりワークスが良いと思っているタイプなのか?」
「ゴメン、意味分からないし。っていうか、事務所通り過ぎてどこ行く気だよ、オマエ」
「ぬ」
いつものクセで自宅に向かっていたらしい。
少し考え込んでいたものの、どうやらイトノコさんを先に降ろしてからUターンするようだ。警察署に車を回して、僕らはもう一度来た道を戻ることにした。
が。
「あ、なるほど君。あたし、ココで降りるよ。ついでに神乃木さんに会ってくるね」
と、真宵ちゃんも降りてしまった。
ぽつねん、と置いてきぼりを食らってしまった僕はどうしようかと御剣を見る。
「事務所に戻るか?」
「んー、今日は一日外回りの予定だったからなあ。事務所のカギは真宵ちゃんが持ってるし」
「それならば今日は終わりにして帰ったらどうだ」
「そうだね。足も痛いしさ」
「ああ、そんなことを言っていたか。病院は行かなくていいのか?」
「平気だよ、このくらい」
動かすたびに鈍痛が走るけど、湿布でも貼っておけば明日には治るだろう。
「あまり心配させるな。こちらの寿命が縮む」
「捻挫くらいで何言ってんだよ」
あんまりに真面目な顔で言うものだから、ついつい吹き出してしまう。
ああ、もうコイツ可愛いよなあ。そういうところが。
「でも、心配してくれてありがとう」
僕はそう言って、少し赤みの差した恋人の顔を横目で見て笑った。
※捻挫したのに誰にも心配されないよ
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