【041:ケース】22:23 2007/07/09
僕はキミを愛している。
僕はキミのために生きている。
そんな重苦しい台詞なんか吐きたくもないのだけど。
ただ、それだけの言葉を重ねなければ分からないと言うのなら。
僕は何度でも繰り返し、囁くから。
海外視察、というのがどれほどの頻度で行われているのかよく分からないのだけど、今回もまた急な人事異動の関係で御剣にそのお鉢が回ってきたようだ。
本人も海外の法曹事情というものを常に気にしているようなヤツだから、ふたつ返事で承諾したそうだ。当然、その準備のため休日返上で身辺やら引き継ぐ仕事やらを整理して。
「すまない、明日には視察先に行かねばならないのだ」
僕にはそれだけ言い残して、サッサと旅立ってしまった。
止める間もなく、勿論止めるような事情もなく、僕は間の抜けた表情で見送るのが精一杯で。
ふと、居なくなった寂寥感にどうしようもなく苛まれる。
それでも毎日の仕事は終わらなくて、終わらせる気もなくて。同じような日々を過ごして、ぼんやりとして、真宵ちゃんに怒られてばかりいる。
腑抜けてる、のは自分でも分かっている。
それでも胸にぽっかりと穴が空いたままで満足な仕事が出来るほど、僕は器用じゃなかっただけだ。
繰り返し繰り返し、夜が訪れる。
布団に埋もれたまま、自分の呻き声で目が覚める。悲しい、寂しい、苦しい。
どれも当てはまるようで、どれも的外れな言葉だけが頭に浮かぶ。
仕方ないと言い聞かせても感情は儘ならない。
自分のことなのに、何処か他人事で。
僕は今日も悲鳴を上げて、夜中に目覚めるのだ。
いっそ、この感情に気付かねば良かったのに。
そう思うのは一度や二度じゃない。
胸奥の圧迫を感じるたびに、思考さえ纏まらない頭で考える。
苦しみに耐えながら、現実から目を逸らそうと必死になる。
言ってしまっては全てが水の泡だ。意味なんかない。折角築いたこの関係を無闇矢鱈に壊すものじゃない。だから。
「ホント、気づかなきゃ良かったんだ」
一人言ちて涙をこぼす。嗚咽を上げながら、枕に顔を埋めた。ジワジワと滲みる涙が情けなかった。
「もう、なるほど君ッ。シッカリしてよッ」
「ああ、うん、ゴメンね。真宵ちゃん」
僕は苦笑いをしながら、目の前の書類に取り掛かる。
そうだ、この仕事には人の命が懸かってる。僕一人の感傷なんて関係ない。自分を押し殺してでも他人を助けなければならない。たった一言で全てがダメになることもある。迂闊に動けば隙が出る。余計な事を考えて出来るようなことじゃない。それは十分分かってる、つもりだった。
「なるほど君? 何だか、顔色悪いよ」
「いや、大したことないよ。心配かけてゴメン」
「じゃあ、あたしは帰るけど。……ホントに大丈夫?」
「うん、この仕事終わったら僕も帰るから。こっちこそ気を遣わせちゃったかな」
「ううん、あたしは良いんだけど。なるほど君、最近調子悪そうだったからさ。あんまり無茶しないでね」
「ありがとう。じゃあ、また明日よろしくね」
「うん、おやすみなさい」
バタン、とドアが閉まった。パタパタと階段を駆け下りる音がする。
僕は書類を脇に置いて、机に突っ伏した。
「ダメ、だよなあ。ホント」
たった1週間居ないだけで、本当に馬鹿みたいだ。
いや、いつ帰ってくるかなんて分からない。アイツのことだから、ついでとばかりにいろんな国を回ってくるのだろう。そして、僕のことは忘れてしまうんだ。
一度マイナス思考に陥ると、なかなか這い上がることは出来ない。
苦しくなって、僕は引き出しからピルケースを取り出した。
あんまりに苦しくて処方してもらったクスリ、だ。とりあえず2週間分貰ったけれど、もう無くなりそうになっている。飲み過ぎれば当然仕事にも支障を来たすけれど、この苦しみを耐えるにはまだ足りなかった。
マグカップに残っていたお茶で無理矢理流し込んで暫く目を閉じる。
胸の動悸が幾分和らいだように思えた。僕が背もたれに体重を預けると、ギシリと椅子が軋んだ。まるで僕のようだと哂ってしまう。いや、僕自身など軋んでるどころか壊れてる。壊れて再構築できないほどにバラバラに砕けている。僕は必死で欠片を集めて、歪んだ形で埋めようとする。
苦しい、悲しい、愛しい、侘しい。
己の腕を掴んで、痛みを覚えるほどに力を加える。それでも現実感は乖離していく。ダメだダメだダメだダメだ。僕は自分を取り戻せないほどに壊れている。
薄らと目を開けて、放り出した携帯電話を取る。眩いディスプレイ画面を見ながら、メールを打った。
『ゴメン、やっぱり体調悪いみたいだから明日休むね』
宛先を設定して送信する。真宵ちゃんは心配するだろうが、仕方ない。家で休んでいれば多分大丈夫だ。
僕はのろのろと立ち上がり、ジャケットを羽織る。事務所の電気を消して、自宅へと戻った。
苦しくて仕方ない。
呼吸困難になりかけて、近くの公園のベンチで休むことにする。
呼吸を整えていると、楽しげな足音がする。ちらりと見やるとどうやらカップルらしい。身を寄せて歩いている。暗がりの方へ歩いていくのを見ると、きっとこれからお楽しみということなんだろうか。
吐き気がして、トイレに駆け込んだ。胃液と溶けかけたタブレットが便器にぶちまけられる。苦々しい味と咽喉が焼けるような感触に眉を顰める。ひゅう、と息を吸って、溢れる胃液をもう一度吐いた。
階段を上るのが億劫で、備え付けのエレベータに乗り込んだ。
ひゅううん、と静かな振動が続いて目的の階を指した。
僕はよろめきながら廊下に降りて、ふらふらと歩く。
中年のオヤジが厭そうな顔ですれ違った。チラチラと僕の顔を見ているようだったが、気にしてもしょうがない。ポケットからカギを取り出して、鍵穴に差し込む。手首を捻って、カギを開けるとそのまま中に滑り込む。
真っ暗な室内。人の気配はない。
靴を脱いで、フローリングに上がりこむ。ソファに鞄とジャケットを投げた。
ベッドに僕自身を投げて、大きく息を吸い込む。
自分とは少しだけ違う匂いに安堵と不安が同時に湧き出る。
逢いたい、喋りたい、触れたい、キスしたい、セックスしたい。
ありとあらゆる感情がひたすらに洩れ出るのが分かる。
僕はいつの間にか泣いていて、枕を抱いたまま、意識は途切れた。
オハヨウ、と言われた気がする。
僕はぼんやりと目を開けて、明るくなった室内に気づいた。
もう朝なのかと身体を起こして欠伸をする。目を擦りながら、ベッド際に座り込むと、フッと視界が翳った。
「おはよう」
頭上から掛けられた声に驚いて、思わず見上げる。
と、苦笑した御剣がそこに立っていた。
「え、アレ。御剣? どうして? 何で? ええッ」
「一時帰国だ。急なことだったから連絡も出来なかった。悪かった」
クックッ、と笑う御剣の姿を僕はポカンと見つめている。
心地よい声音が耳に響く。手を伸ばすと確かに触れる存在。僕は黙って御剣に抱きつくと、その胸に顔を押し付けた。
「成歩堂?」
「うん」
「……真宵クンから聞いている。大分体調が優れないらしいが大丈夫か?」
「大丈夫じゃないよ」
僕は御剣の身体を抱いたまま、後ろのベッドに倒れこむ。勢いで御剣もベッドに凭れた。
首に腕を巻きつけて、キスをする。
「……逢いたかった」
触れるだけじゃ足りなくて、もう一度キスをせがむ。
御剣は驚いたような顔をしていたものの、フッと微笑んで顔を近づけた。
※疼痛。ミツナルだかナルミツだか。