【020:アルコール】1:57 2007/06/16
矢張からの電話で3人で飲もう、と誘われた。
私の仕事に急ぎのモノは無く、いくらか余裕もあったので承諾をした。
待ち合わせ場所を聞こうとしたら矢張が検事局まで来るという。
暇なヤツだと思っているとどうやら成歩堂は遅れるらしい。二人だけで呑み始めよう、とまあそう云うことだった。
「よろしく頼むぜ」
勝手に私の車に乗り込んで親指を立てている男に、正直殺意も芽生えたが私はどうにか溜息だけに留めて、目的の場所へと車を走らせた。
果たして着いたのは成歩堂法律事務所の近くにある居酒屋だった。
どうやら遅れるといった段階で場所を決めたそうだ。
まあ都合も良かろうと私は店員に案内されるままに席に座る。
向かいに座った矢張がとりあえずビール、と頼んでいる。
慣れているのだな、と言うと、お前は似合わねえけどな、と返された。
適当なつまみを食べながら、私は久しぶりに会った親友と話し込む。
主に矢張の新しい彼女自慢だったが、まあいつものことだ。
「ところでさ、御剣ぃ。オマエ、彼女くらいいるんだろ、カノジョ」
相変わらずペースも速いが潰れるのも早い。
既にベロベロになった矢張がカノジョ話とやらで絡んでくる。
いつの間にか向かいに座っていたはずが隣に移動して、私の肩などをポンポン叩いていた。これだから酔っ払いは疲れるのだ、とぼやきながら私はグラスのウーロン茶を傾けた。
「遅れてゴメン――って、あれ?」
走ってきたのか少し汗だくで成歩堂がやってきた。
座卓の上を見て、目を丸くしている。当然だ、料理は全く減ってないくせに酒のグラスだけで卓上は埋まっている。その上、矢張は潰れて寝こけていた。
「矢張、潰れてんの?」
「うム、明らかに呑みすぎだろうな。キミも疲れてるところに申し訳ない」
私がそう声を掛けると、そうでもないよと返事が来た。
「あー、もうコイツは勝手に呼び出しといて」
「そうだったのか?」
「そ、『今日飲み会だからヨロシク』ってメールだけ残してさ。僕の場合だけ、いっつも強制なんだよな」
「ム。それはすまなかったな。仕事が詰まっていたのだろう?」
「いいって、御剣が悪いわけじゃないし。ま、いっか。とりあえずコイツどうにかしないとゆっくり飲むことも出来ないしなあ」
「……私の部屋で飲むか?」
「いいの?」
「構わん。矢張ひとり転がしておくだけのスペースはあるつもりだ」
そうだなあ、と成歩堂は呟いて何事か考えているようだった。
「じゃ、お言葉に甘えて。そういえば御剣歩き?」
「いや車だ」
「え、じゃあこの酒って」
「このバカが一人で呑んだ」
「それはそれは」
ご愁傷様、と成歩堂は苦笑いをした。
矢張を後部座席に転がして、私は運転席に乗り込んだ。
成歩堂も少し遅れて助手席に乗り込んでいる。
クラッチを踏み込んで、エンジンを掛けていると成歩堂が口を開いた。
「そういえば御剣の家に行くのって、僕初めてかも」
「ム。そうだったか」
アクセルを踏んで、ギアを1速から2速に。
「うん。オマエいつも検事局にいるから」
「そうか。まあ、なかなか帰れないのは否定しない」
駐車場から公道に出て、スピードを上げていく。
「毎日残業?」
「いや、案件を抱えてるときだけだ。今日のように暇なときはさっさと帰るようにしている。キミこそ事務所で寝泊りすることが多いのだろう?」
「うーん、そうかもね。仕事抱え込んじゃうからいけないんだけど」
既に点滅している信号に舌打ちしながら、一時停止。
住宅街だけあって車は通らない。
ウインカーを出しながら、ゆっくりと角を曲がった。
「もっと手際良く出来ないものなのか?」
「えー、なんだよ。僕だって一所懸命やってるんだけど」
「ならば1つと言わず2つだろうが3つだろうが同時に依頼を受ければ良かろう」
「無理無理無理。って言うか、僕の性格知ってて言ってるの。ソレ?」
「ああ。とりあえずシツコイということだけは重々承知の上だな」
コンビニの看板に私はウインカーを出して、車を寄せる。
駐車場はガラガラで店員も一人欠伸をしていた。
「キミも降りるか?」
「うん、買出しだしね」
ひょい、と降りる姿は子供のようだ。
自動ドアが開いて、店員がいらっしゃいませと呟いた。
カゴにビールやら日本酒やらウイスキーやら手当たり次第投げ込む。
何か食べたい、と成歩堂がぼやいたのでサラダとサンドイッチをいくつか買うことにした。レジにカゴを置くと店員が慌てて寄ってくる。ふと、成歩堂が見当たらないと思ったら、お菓子のコーナーに立っていた。
「おい成歩堂」
「ゴメンゴメン。コレもお願い」
ドサリ、とチョコレートの箱を載せられて私は顔を顰めた。
「キサマ、甘いものを食べながら呑むつもりか」
「うん、そうだけど」
「だから太るのだ」
「うう、それは言わないでくれよ」
レジの店員が無表情でバーコードを通している。
いや、肩が震えてるから内心笑っているのかもしれない。
私がため息を吐いて精算すると、成歩堂が荷物を持って車に戻っていく。
つり銭を貰いながら、よく分からん男だと私はぼやいた。
ゆるゆると車を発進させて、自宅へと走り出す。
隣に座っている男は楽しそうに鼻歌なんぞ歌っている。
気楽なヤツだ、と私は一人言ちて郊外へと車を向けた。
都市計画開発途上地域にマンションがぽつねんと建っている。
駅からは遠いが、官公庁には程よい距離の場所だからここに住んでいる。
何だか寂しい感じだね、と成歩堂が呟いたのでそうかもしれないと私は思った。
車を駐車場に止めて、後部座席から矢張を引きずりおろす。
成歩堂は買いこんだ荷物を両手に持って、私の後に着いてきた。
セキュリティシステムとは名ばかりのナンバーキーロックに番号を叩いて、自動ドアを開ける。
エレベーターが目の前にあるが、どうにも苦手で使ったことはない。
階段へ向かうと成歩堂が重くないのかと聞いてきた。
エレベーターに乗るよりマシだ、と私は答え、階段を昇り始めた。
数回踊り場を回るとエントランスに辿りつく。
私は少し息切れをしながら、自分の部屋へと向かう。
成歩堂はぜえぜえと深呼吸しながら、私の後に必死で追いついてきた。
遅い、と私が言うとちょっと待ってよと情けない声音が響く。
「早いって御剣」
「ただの運動不足だろう」
何とも情けない表情で成歩堂が溜息を吐く。
聞かなかったことにして私は自宅の鍵を開けた。
部屋自体はそこまで広いとは思っていないが、二部屋あるので重宝している。
とりあえず私は寝室のベッドに矢張を放り出し、リビングのソファに座り込んだ。
脱力した人間とはかくも重いものだとぼやきながら、背もたれにぐったりと寄りかかる。
「御剣、コップどこ?」
「そこの食器棚だ」
成歩堂は慣れた手つきでコップを用意し、小皿に適当につまみを載せてやってきた。
「お疲れさん。僕が矢張を持てば良かったかな」
「あの程度の階段で息切れしているような人間に運べるわけがなかろう」
「酷いなあ」
「事実だ」
とりあえず、と成歩堂がソファの隣に座り込む。
グラスとアイスペール代わりのガラスの小鉢がトレイに載せられていた。
「何呑む?」
「ウイスキーをくれ」
分かった、と成歩堂がグラスに氷を入れて適当にボトルから酒を注いでいる。
二つ用意しているところを見ると、自分も同じものを呑むつもりらしい。
「はい、そんじゃあ改めてお疲れさま」
「うム」
カツン、と渇いた音が鳴り、私はグラスの酒で咽喉を潤す。
久しぶりのアルコールは少し視界を揺らしたが、意識を揺るがすものではない。
心地よく酔えていると思うと私は可笑しくなって、少し笑った。
「御剣、楽しそうだね」
「ああ良い心地だな。キミは呑まないのか?」
「んー、久しぶりに呑むからペース落としてるんだよ。最近胃の調子が悪くって」
「無理し過ぎてるのだろうな」
「かもね」
成歩堂はサンドイッチを食べながらそう言った。余程空腹だったのだろう。既にサラダはプラスチックケースだけになっていた。
「ん、食べる?」
「居酒屋で散々食べた。もう入らん」
「そっか。じゃあもうひとつサンドイッチ食べていい?」
「好きにしろ」
私はソファに凭れて、ゆるゆると琥珀の液体を押下した。
「御剣?」
声を掛けられて私は覚醒した。瞼を開けると、いつの間にか照明は落とされていた。どうやら私が寝ているのを見て、成歩堂が消したものらしい。
「ん、ああ。すまない。少し寝てたようだな」
「オマエも疲れてるだろ。気にせず休んだ方が良いよ」
成歩堂はグラスを片手に揺らしながら、笑いながら言った。
どうやらまだ一人で呑み続けていたようだ。
「いや、構わん。どうせ明日は休みだ」
「そう? じゃあいいんだけど」
咽喉の渇きを感じて私は自分のグラスを取って、一気に呷った。
アルコールの甘みと咽喉を焼く刺激が一気に押し寄せて、私は顔を顰める。
隣で見ていた成歩堂は黙って立ち上がり、冷蔵庫から何か出していた。
「呑む?」
ミネラルウォーターのペットボトルをぷらぷらとぶら下げている。
少し揺れる意識で、貰おう、と返事をしていた。
成歩堂がペットボトルの蓋を開けるところをぼんやりと見ている。それに気づいたのか苦笑すると、ソファに座り込んで私の様子を見ていた。
「そんなモノ欲しそうな目で見るなよ。襲いたくなってくるからさ」
ぬけぬけとフザケたことを口にしている。
「いいから寄越したまえ」
「ヤだ。面白いから見てる」
「成歩堂、キミは」
「……御剣」
声のトーンががらりと変わって、私は思わず成歩堂を見た。
先程までのヘラヘラした顔つきは一転して真面目な表情になっていた。
――法廷での顔つきに似ている。真っ直ぐな目が私を射抜いた。
「何だ」
「うん、今から言うことは酔っ払いの妄言とでも思ってもらえれば構わないんだけど。いや、何て言うかホントは聞いてほしいような、聞き流してもらいたいような」
「ハッキリ言え」
「じゃあ言っちゃうね」
キミのことが好きだ、と成歩堂は言った。
「で?」
「うん?」
「言いたいのはそれだけか?」
「あ、ああそっちか。うん、それだけ」
「キサマは何が言いたいんだ。意味が分からん」
「ええと、僕、御剣のこと好きなんだよ」
「それは先刻も聞いた。それがどうしたと言うのだ。私もキミの事は友人として大切だと思っているが」
イヤイヤ、と成歩堂が首と手を横に振った。
何故か疲れたような表情をしている。
「いや、そういう意味じゃなくてさ」
「ム、ならばどういう意味だと言うことか」
「あー、もう気付けよオマエ」
「そこで頭を抱えられても分からんが」
「あのさ」
成歩堂が私を押し倒した。不意を取られたためか私は呆気なくソファに倒れる。見上げた先には成歩堂の顔がある。その視線は真っ直ぐに私に向けられてた。
「これでも気付かないかな」
「どういうつもりだ」
「好きなんだよ。御剣」
「戯けたことを」
「本気なんだ」
「私は男だぞ」
「知ってる」
「キミも男だろう?」
「女だったら怖いくらいだね」
私は何故か抵抗しないまま、そんな問答を繰り返している。
存外近い位置にある成歩堂の顔は整った顔つきだと思う。間抜けな表情さえしなければ女にもモテるだろう。そう、例えば滑稽な現状に似つかわしくない、この真剣な表情ならば。
「私はそういった趣味はないぞ」
「僕だってそうだ」
「ならば」
「でも好きなんだ。勘違いとか気の迷いとかいろいろ考えたんだけどさ。やっぱり御剣の事が好きなんだって最近気付いたんだ」
「キミは」
続く言葉は成歩堂の唇で止められた。
何度も角度を変えながら、より深く合わされていく。
意外と口唇は柔らかいのだな、と的外れなことを考えている自分自身に驚きながら私は抵抗をしなかった。
いつの間にか抱きすくめられている。身体が動かなかった。
成歩堂、という静止の言葉は声にならない。
歯列を割られ、口内へ舌が侵入してくる。執拗に蠢くその器官に己の舌も取られ、絡められた。背筋を震わせたのは寒気か恐怖か。そのどちらでもない熱に浮かされながら私の思考は混乱している。
段々と押さえの利かなくなる己を必死で留め、振り切るように漸く顔を逸らした。
唇が離れるときに銀糸が伝うのが見え、思わず赤面する。
「キサマ、分かってるのかッ」
「うん、ゴメン。悪かったよ。僕も呑みすぎたみたいだ」
成歩堂はそう言うと、私の上から素直に退いた。
私もソファに座りなおし、目の前の男を睨みつける。
「……キミを苦しめるつもりはなかったんだけどさ」
ぽつり、と呟かれた言葉に私は眉間の皺を深くする。何かを言おうとしたが言葉が出てこなかった。
室内に静寂が満ちて、互いの吐息しか聞こえない。
やがて、思い当たったように成歩堂がソファから立ち上がった。
「御剣。僕、帰るよ。酔っ払いの相手させるのも悪いし、これ以上居ると僕が我慢できそうにないし。……混乱させるようなこと言って本当に、ゴメンな」
私が言葉を掛けるよりも早く、おやすみ、と言って彼はそのまま扉を閉めた。
※なるほど君告白編。ミッタン大混乱。